ウェイバリーは光る追跡位置ボードを睨んでいた。
この任務は何もかもが気に入らなかった。正体のはっきりしない者の手引きでソロを送り込んだことから、クリヤキンを続けて送ったことまで。その上彼等を嵐の中で見失った。
とにかく、何かがあってソロとクリヤキンの帰還、または連絡を出来なくさせているのは深刻に受け止めねばならない事態だった。スラッシュが動いているのは確かである。彼は言った。
「チームを派遣する。地方当局の言うことは聞くな。回線も切る。電波での通信は一切無し。誰であれ、この状態を任すことの出来る者がいれば、私が個人的に話をする」
そこで暫らく言い止めた。
「ミス・ダンサーがよかろう」
チームには、ソロとクリヤキンに面識のある者が加わって欲しかった。
「ここだわ」
彼女は言った。
「行きましょう」
車が乗り上げると、追尾信号が高い音を出した。事務所は真っ暗で、このひどいどしゃ降りの中、ベルに答える者はいない。道路は、というよりもう小川に近かったが、一方向に延びている。車のステップを水に浸けながら、一行はそこを上がっていった。明かりのない締め切った小屋、車の姿も見えない。道は崖を背にして建つ最後の小屋のところで終っていた。追尾信号は今最大音で鳴っている。
「ここで間違いないわね」
ダンサーは自分用の防水フードを引っ張り出し、装弾をチェックした。
「ヘッドライトをドアに向けていて、援護をお願い」
彼女は普段と違うロングブーツを履いてきたことを感謝しつつ、滝のような雨の中をバシャバシャ歩いた。ハイパワーのライトを振ると、U.N.C.L.E.カーのノーズ部分が現れた。用心深く弾道から身を隠し、ドアに張り付いて軽くノックした。彼等の名前の音節の数と、自分の名の音節の数の組み合わせで。しばらく待って、もう一度叩くのを少し控えていると、ドアの向こう側から同じパターンでノックが返って来て、ドアが開いた。
「あなた方、仕事中にピザでも待ってたの?」
そんなことを尋ね、部屋に入る前にドライバーに向けて親指を立ててOKサインを送った。
「早いところ、ここから連れ出してくれないか」
クリヤキンはそっけなく言った。
「ソロを車にロード(積む)するところなんだ、ロード(道路)に出られるように」
彼女の手にある懐中電灯を、イリヤがベッドに向けさせた。その途端エイプリルが言った。
「ジーザス・・・・・・」
ソロの日焼けした肌は灰色がかって、うつろな瞳はただ開いているだけで反応がない。あえぐように呼吸をつなぎ、抑えようもなくがたがた震えていた。クリヤキンがありあう限りの布類を重ね、実を言うと、相手の傍に横たわって自分の体温で暖めていたにも関わらず。
「ガーニー(台車つき担架)を持って来て、」
そこまで言って、この泥の中では車輪が転がせないことに気が付いた。
「僕が運ぶ」
イリヤは既に、まだ濡れているジャケットを手にしていた。エイプリルが彼の鞄を持った。彼は、ソロをベッドカバーの片方でミイラのようにくるみ、抱え上げて雨の中に出た。パートナーをトラックの後部に運び、その横に座り込む。
エイプリルは運転席に頭を突っ込んで言った。
「いいわよジャック、サイレンでもベルでも警笛でも何でも使って。ソロの状態はZグレードの最悪。すぐ出発しなくちゃ。このいまいましい嵐はまだ東に抜けてないのね、有り難いったら!」
それからクリヤキンと一緒に後部に座った。
「戻るのは行きほど時間はかからないでしょう」
彼女は言った。
「追尾信号をたどる必要はないんだから」
パートナーの呼吸を楽にしようと、酸素マスクをセットする彼に手を貸す。
「それと、飛行機に乗ったらすぐに連絡をつけて、医療班を待機させておくように」
周りが立ち働いている間、クリヤキンはいつものようにてきぱきと指示を出していた。彼に目を向ければ、普段から白い顔は青ざめてげっそりとし、怜悧な目の下には隈が出来ていた。
ダンサーには、彼がソロよりほんの少しマシというだけの状態に思えた。彼にも喉と腕に傷痕が見受けられた。彼女はこれだけを言った。
「アマチュアよね。誓って言うけど奴ら、プロよりよっぽど凶悪だわ」
「正に、同感だ。暴風雨域を出ても通信は使えないみたいだな?」
「そう。今は極秘の回線を、中継して使ってて、ここに来てすぐそれは使えなくなったわ。通信できるまでには、」
彼女は防水時計をちらりと見た。
「多分、あと1時間」
「僕のカンでは、スラッシュはあの基地に着く寸前で、少しだけ僕が早く着いたんだと思う」
エイプリル=ダンサーは、10の科学的根拠よりイリヤのカンのほうを信用していたので、すぐに頷いた。
それから尋ねた。
「彼、話ができたの?」
ソロの喉の傷を見る。今や青黒いというよりも、どす黒く変わっていた。
「ほとんど駄目だ。この1時間の間はただ息をしてるだけだった」
イリヤは固い口調で答えた。彼にはまだ、その前の数時間について思い起こす余裕はなかった。
50分とかからずに暴風雨域の外まで抜け、ソロがヘリコプターに乗せられて、ストレッチャーに固定されている間に、クリヤキンは中継回線を使ってウェイバリーと会話した。
その老人は言った。
「一般の電話回線から、地域一帯の通信を傍受できるようにしているのだが、近くの古い基地で、大きな爆発と火事があって、それに駆り出された救急隊員からの報告があった。落雷のせいだろうということで、更に詳しく調査中、だそうだ」
「奴等、僕のすぐあとに来たんですね」
「そんな所だろう。今シュデンバーグ医師に代るから、ミスタ・ソロの状態について報告してもらいたい」
彼は、ソロの症状について詳細を述べた。シュデンバーグは、いつもの抑えた口調でこれだけ言った。
「ひどいねどうも。到着したら直ちに輸血できるよう準備しておこう。もし移送中に状態が悪化したら連絡を。私が君に適切な処置を教えよう」
その処置が気管切開とかではありませんように。ソロの喉を切り裂くことにでもなれば、さすがのクールなクリヤキンでも手が震えるだろうから。
飛び立って20分後、ソロは必死に呼吸しようとして喘ぎ、酸素マスクが当てられた。
「心拍数・急上昇」
エイプリルが言った。
「じっとして、相棒。もう少しで帰れる」
イリヤが言った。
「特務課主任・代理からの命令だよ」
彼は自分の手を、ナポレオンの額に当てた。体温も急激に上がっている。
「熱が出た理由が分かっちゃったわよ、ナポレオン。クリヤキンが主任代理になったこと?それとももう命令されてることかしら?」
エイプリルが付け足した。彼女には、ソロがおそらくクリヤキンと組んだ5年間、直接に『命令を下す』ようなことはしていないことも、彼がこの話をちゃんと聞いて、理解して、いくらか安心してくれればいいとクリヤキンが考えていることもわかっていた。
彼女はわざとのんびりした声を出して、光も動きもないソロの瞳が何の反応も見せないことを気遣う自分を隠していた。
「貴方には誰かがついてなくちゃいけないのよ、ナポレオン。そんなことが出来るのは、クリヤキンしかいないでしょ。彼が引っ張り出されたのはそのせいなんですって。真実と正義とアメリカ精神の為に戦う用じゃなく、あなたが勝手に突っ走って、どっかへ行っちゃわない用なのよ」
「その情報は機密扱いなんじゃないのか」
イリヤが柔らかな声でさらりと言った。
彼は人並みの感情に乏しいと見られがちで、しばしば『Ice Man』などと喜ばしくないあだ名を貰ってはいたが、ダンサーには今のイリヤがあえてそんなクールさを装おうとしているようにも思えた。
言葉にならないほどほっとした気分で、彼等は眼下一杯に広がるマンハッタンの景色を眺めた。そして数分のうちにヘリは本部の屋根に降下した。医療局員が近寄って来て、ストレッチャーを取り囲み、ヘリの回転翼が止まりきらないうちから血液のサンプルを採取した。二人が研究室へと駆け出し、残りの者が座席からストレッチャーを運び出して、医局に向かった。
クリヤキンとダンサーはまっすぐにウェイバリーのオフィスへ行った。
「基地は完全に破壊されていたよ」
開口一番に老人はそう告げた。
「まっ平らで、何もかも粉々だったそうだ。効果的かつ速やかな攻撃からして、スラッシュの仕業に違いない。まあ幸いにも、」
ウェイバリーはクリヤキンを一瞥した。
「いいタイミングで、ミスタ・ソロを救出したね」
「イエス・サー」
昨夜の出来事を思い返しながら、彼はさらりと付け加えた。
「特に彼等が作った自白剤が、あれほど強い効果があるのなら」
「本当かね?」
「はい。あれを使うと極度に・・・・・・神経過敏になります。僕等のような、訓練を受けたプロですらも」
「なるほど」
長い眉毛の下から、また鋭い視線が飛んだ。
「君は、ミスタ・ソロが・・・・・・なんだね、彼等に何か喋ったと思うかね?」
「そうは思えません。彼等は素人で、彼が何者なのかも知らず、彼の正体を聞き出すどころか、何を質問するべきかも分かっていなかった。ソロの知るところでは、彼等はソロを単なるサンプルとして、その価値も知らずにスラッシュに渡そうとしていたそうです」
話し合ったことはないが、『Solo's Luck――幸運なソロ』という奴だ、と彼は思った。それから少しおいて言った。
「他に質問がないのでしたら、医務室(sickbay)に行って、ナポレオンの様子を見たいのですが」
海軍経験のあるクリヤキンは、まだ医局を『sickbay』と表現する。
ウェイバリーは、彼の様子が消耗しきって今にも倒れそうであり、医局で自分を診察してもらう気がないのなら家に帰って休めとわざわざ指摘するようなことはしなかった。
彼はクリヤキンを十二分に理解していた。この若いロシア男は、自分のパートナーの容体が安定し、命に別状ないとわかるまでは、石碑のように医局にがんばっているのだろうから。
「行きたまえ、ミスタ・クリヤキン」
「どうも」
医局についた彼は、待合室の一角にある、自分がいつも座る椅子へと向かった。シュデンバーグなら、何かあればすぐ自分に報告してくれるだろう。
二人の主任医師、ルー・シュデンバーグとカレン・グラントは、ソロもクリヤキンもパートナーが危ない時には帰れといっても聞かなくなる事を、かなり早いうちから思い知っている。ものわかりよく、情報があれば知らせてやった方がよほど楽なのである。その代りに、自分達も大人しく待ち、彼等の邪魔になる事はしない。
彼が席につくより前に、シュデンバーグが戸口に現れた。
「今さっきアレックスのオフィスに連絡したら、君がここに向かっていると聞いたのでね。君の助けがいる」
その勿体ぶった口調に眉をひそめながら、クリヤキンは彼についていった。
「輸血と一緒に特殊な精神安定剤を与えていて、その効果は続いている筈だ。しかし彼はひどい興奮状態にある。どうも彼は、君が負傷していて、我々がそれを隠していると思っているようだ」
医師は手振りで彼を個室へ行かせた。イリヤはベッドに近づいて、手をソロの手に置き、錯乱した黒い瞳を見下ろして、優しく言葉をかけた。
「僕はここだよ、ナポレオン」
「イリヤ!」
彼は傷ついた喉からひどくしわがれた声を出し、年下の男の手を砕かんばかりに固く握った。
「怪我はないのか?」
「ない。今回は、君一人に名誉の負傷を持っていかれたな、my friend」
「疲れてるみたいだ」
彼はしゃがれた声を出した。
「そう。疲れてる」
他の誰に言われても絶対認めようとしないことを、自分のパートナーには認めた。
「だからあんたが早く医師の世話になって大人しく休めば、僕もそれだけ早く休めるんだよ」
微笑んで相手を見下ろし、じっと見つめる瞳には、どんな動作よりもはっきりと彼を安心させる力があった。ナポレオンの取り乱した目が様子を伺い、その表情に再び向けられ、それから、ベッドの上に仰向けになった。
「怪我は・・・・・・してない」
ひどく安心した声。イリヤにはその理由が分かっていた。
「全く、どこも、怪我してないよ」
もう一度、落ち着いた様子で。なので、彼のパートナーには、その言葉に含まれた意味が分かった――"心配するな"と。
「君、休んで・・・・・・」
ソロの掠れた声。
「あんたが休んだら、僕も休む」
「わかった」
そうしてソロはシュデンバーグに治療を続けさせることを承知し、軽い鎮静剤を与えられてすぐに眠りについた。
シュデンバーグが言った。
「ミスタ・クリヤキン。君が特務課を辞める気になったら、医局で第二のキャリアを積もうとは思わないかね?でなければライオンの調教師は?」
「それは前に言われましたよ」
彼は頷いた。
「猛獣使いになれって」
「たぶん知らないふりをしてるのに、教えても仕方ないとは思うんだが。喉と手首に傷があるね」
「ナポレオンが興奮していて、彼を抑え付けてなくちゃいけなかったんです。怪我というほどではないけど、ただ疲れました。長い、夜だったから」
何かを振り切るように、言う。
「彼はこのまま安静にしておこう。輸血と自浄作用で症状の急変は抑えられるだろう」
イリヤは隣の病室に目をやった。ベッドは空いていて明かりも点いていない。
「僕はここで仮眠します。何か変化があったら起こしてください」
それだけ言うと、靴を脱いで蹴飛ばし、湿ってどうしようもないほど皺の寄ったジャケットを脱いだ。そして、あっというまに深く寝入ってしまった。
シュデンバーグはしばらくその様子を突っ立って眺めていたが、やがて首を振り振り、自分のデスクに戻った。
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