DISHEVELED
by Julia Justina

 そいつはオレが今まで会った中で一番の、素晴らしくいい男だった。そして何か隠していないか調べられたせいで、髪も服も素晴らしくヨレヨレになっていた。

 オレが『オフィス』と呼んでいる狭っくるしい小部屋で、彼は椅子にくくりつけられた。こういう場合は何か言わないと……一番ぴったりくると思ったのは「今日はボクの誕生日なの?これってプレゼント?ねえ、今すぐリボン解いて遊んでもいい?」だった。
 部屋の中は立てこんでいた。囚人から離れて、ここのリーダーのウィルソンが警備班長のロビンソンを伴ってこちら側にいる。それに護衛が三人。ウィルソンはいつものようにオレを無視していて、ロビンソンは顔をしかめながらあれこれと指示を出してきた。
 男はこの基地への入り口を探していて捕らえられたらしい。ロビンソンが彼をU.N.C.L.E.のエージェントだと見抜き、明日Thrush中枢部に送って尋問するまでこの部屋で監視をつけておくのだそうだ。そしてオレが最初の担当に選ばれたわけだ。
「何をそんなに大騒ぎしてんすか?」
 オレはアメリカのスラングを使う練習をしてみた。
「こいつはU.N.C.L.E.のエージェントで、魔術師フーディニーじゃないでしょ」
 ロビンソンが歯をむき出して凶暴な笑いを浮かべた。
「ただのエージェントじゃあない、あの有名なナポレオン・ソロだ」
 それにはオレも驚いた。ソロはU.N.C.L.E.の特務課員になってほんの二、三年だが、Thrushの大きな頭痛の種になっていて、また信じられないほどの強運の持ち主でも有名だ。Thrush中枢部はこの男と引き換えにならどえらいボーナスをはずむだろう。
 ウィルソンと護衛は先に立ち去り、ロビンソンは二時間したら交代の者を寄越すとだけ言ってこれまた出て行った。オレは椅子の向きを変えて、机に向かいながらでもソロを見張れるようにした。多分こっちの仕事は後でもいいのだろうが、時間を無駄に使っても仕方ない。仕上げなきゃならない計算書がまだ残っている。
 思った通り、オレが何も言わないのでソロはたちまち時間を持て余し始めた。五分経過した時、彼は咳払いをした。オレは視線を上げて何だ?と片眉を上げてみせた。彼はオレを懐柔する気になったらしい。
「お互い自己紹介がまだだったろ。君はもう僕の名前を知ってるけど、僕の方は君が彼らに、ニッコって呼ばれてるのしか知らない」
 オレはゆっくりと相手を観察した。立ち上がったら彼はオレより二、三インチは高いだろう。髪の毛はダークブラウン、捕まった時に髪型が乱れて、前髪が同じ色をした瞳の前に掛かっている。薄く日焼けした褐色の肌、片方の頬にほくろがあって、顎が窪んでいる。本当に魅力的な男だ。
 オレよりは年上だろうと思うが、そんなには離れていなくてせいぜい二、三歳ぐらいだろう。まだ三十代にはなっていまい。椅子の肘掛に括りつけられた奴の両手首に視線をさまよわせる。
「この状況からして、あんたには『ご主人さま』と呼んでもらいたいな」
 彼がにやっと笑ったのでオレは驚いた。こいつの堂々とした態度には恐れ入る。敵に捕らえられて、これから尋問され拷問に遭うかもしれないとすれば、幾らか不安がりそうなものだが、ソロは全く気にしていないようだ。もしかして、彼はオレを懐柔し逃がしてもらう気なのだろうか。彼は女たらしとして有名だが、噂される以上に別分野でもその才能を発揮するのかも。オレは自分が今彼にどう映っているのかと考えた。ちゃんとした食事と散髪が必要な、やせっぽちの小僧?
 彼は諦めていなかった。というより、そうすることを知らない人間のようだった。
「それに『可愛いボウヤ』とも呼んでたな。君はそう呼ばれてるのを知ってた?」
 それはよく知っていた。そういうことなら自分にはピッタリのあだ名だった。だがU.N.C.L.E.のエージェントにはそこまで気づかせたくはなかった。
「払うもんさえ払ってくれりゃ、何と呼ばれようが気にしない」
 彼はまだまだ諦めない。
「じゃあ、僕もニッコって呼んでもいいかな?」
 オレは返事の代わりに肩を竦めた。
「それはニコラスかニコライを縮めたもの?」
 返事をしないでいると、彼はまた言った。
「僕のことはナポレオンでいいよ」
 それには笑わされた。で、オレは答えた。
「ロシア人の口からはちょっと言いにくい名前だな。それより、アンクル・サムって呼ぶ方がいいや」
 彼は口を結んだ。笑いものにされるのはあまりお好きでないらしい。オレは計算の続きに戻ったが、彼はそれでくじけた風ではなかった。たまげたことに、次に彼はロシア語で喋り始めた。ゆっくりとした喋り方でアクセントは大分変だったが、文法的には正しいものだった。
「君はきっとロシア人なんだろうと思っていたけれど、アクセントからしてモスクワの出身じゃないだろう」
 問いかけではなく断定で言われた。猿轡でもしてやろうかと思ったが、その代わりにオレは仕事を放棄して椅子から立ち上がり、相手に意識を集中した。まずいことだと分かっていたが、もう何週間も母国の言葉で喋っていない。それに、彼を観察するいい言い訳になる。彼が服を脱いだらどんなだろう、とオレは考えた。服を着たほうが格好よく見える者もいれば、そうでない者もいる。だが両方の彼を比べて見る機会はありそうにない。Thrush中枢部で徹底的に痛めつけられた後の彼がどんな姿になっているか、オレは考えるまいとした。
 オレ達はしばらくの間ロシア語でお喋りをした。ソロはロシアに行ったことはなくて、軍隊にいた間に言葉を習ったのだそうだ。ロシア語教室に通っていた時に読んだ本に書いてあったことを実際に見聞きしたかとソロは知りたがった。モスクワの地下鉄について話したのを憶えている。ニューヨークのそれとは全く違い、駅舎の床は大理石で天井にはシャンデリアがあって宮殿のようなのだ。アメリカ人皆がそうするように、彼もレーニン廟に行ったことがあるかと聞いてきた。
 そうして予想通り相手は会話をロシアの事からオレ自身のことへと移した。
「故郷からずいぶん遠いところに来たもんだね?」
 問いかける調子で彼は言った。オレは肩を竦め、会話を英語に戻した。
「あちこち旅して世界を見たかったからさ。自分自身の視野を広げて――」
 オレは彼に向けてパチパチと睫毛をしばたかせた。
「色んな人間と出会う」
「それで、Thrushで働いていて出会う人間を君は気に入ってるの?」
 疑問を強めるように彼は片方の眉を上げた。
「だからあんたにも会えた。アンクル・サム」
 また彼が笑った。色々な事を面白がるたちらしい。笑うと彼はいっそう若く、なんだか子供っぽくさえ見える。彼の黒髪に触れてみたくて指先がうずうずした。気をつけろ、とオレは自分に言い聞かせた。自分はThrushに雇われていることを忘れるな。それと、この男は敵なんだ。
 彼がこちらをじっと見上げている。視線がオレの両脚の間をさまよっている。彼は今度は声をひそめ、もっと近くに寄れと言うように喋り出した。
「それじゃあ……こうやって出会ったんだから、もっとよく知り合えるんじゃない……?」
 彼は思わせぶりに語句をぼかしていった。オレは睫毛を伏せながら彼を見て微笑んだ。ゲームのやり方を心得た相手とカケヒキをするのは楽しいものだ。
「オレはいつでもあんたのロープを緩めてやれる。そのほうが都合がいいだろうね?」
 オレはそのことを思案するふりをしながら彼の目を覗きこんだ。一瞬だけ驚きの光がよぎり、すぐに隠れてしまった。オレは次なるシーンに移った。
 椅子から立ち上がって彼に近づく。彼の膝の上に乗っかり、両脚を挟み込んで顔を合わせたかったが、両手を椅子の肘に固定されているのでそれは出来ない。しょうがないので横向けに座り、首を捻って彼にキスをした。彼もキスに応えてきた。ゆるゆるとして深い、上等のキスだった。オレは彼の髪に指を差し入れた。柔らかくて豊かな黒髪。唇が離れる寸前に、彼の反応したモノが腿に当たるのを感じた。これが演技だとするなら、これまでお目にかかった中で最高の役者だ。彼の瞳の色はいっそう深みを増し、声は掠れている。
「君に触れてみたい……」
 間抜け扱いされるのはいつだって好きじゃない。オレは急にこのゲームに飽きてきた。彼の膝から滑り降り、机に歩いて戻った。オレ自身も昂ぶっていて、長い間収まらなかった。
 机の上に積み上げられたソロの銃やその他の持ち物を見てみる。シガレットケースは実際は通信機の類だろう。なかなか大したものだ。オレは銃にシガレットケース兼用の通信機、その他の道具類を机の引き出しに仕舞いこんだ。自分がどれほど落着きをなくしているか、あまり表に出ていないことをオレは祈った。しばらく間を取って、オレは机の上の書類の山から計画書を幾つか取り出して書き込みを始めた。こんなことをするのは厄介ごとの種だが、とにかく何かをしている必要があったのだ。
 ソロは再び喋り出した。彼はこの状況から抜け出すのには口先でなんとかするしかない、というようだった。
「それで、君みたいないい子が、どうしてThrushで働いているの?」
 もう一度オレは彼に猿轡を噛ませることを思案した。そうするのが賢明な方法だったのだろう。オレが受けた命令は極めて単純明快なものだ。といってオレは賢明でいようという気分でもなかった。
「オレの生き方と、母なるロシアでの生活は相容れないものだったから国を出たんだ。そして自由の国にたどり着いた。勿論この国でも全く普通ってわけにはいかないが、何かと役に立つ技術は身に付けてるし、それでちゃんとした職も見つかった」
「じゃあThrushがちゃんとした雇い主だって?君の基準ってのはすいぶんと低いんだな。たっぷりと給料を貰ってるならいいんだけど」
 彼は心底心配してくれているような声音で言った。オレは笑いを浮かべた。
「そりゃあいいさ。その上非課税だし、永住権やら労働許可証やらの心配もしなくていい」
「Thrushは普通一人の人間を長く雇ったりはしないってことは分かってるんだね?」
「それについても気遣いはない。彼らからちゃんとした仕事をしないかって持ちかけられてるんだ。ここでの勤めが終わったら、オレは金を貰って別の場所へ、もしかしたら別の国へ行く。この次にはどうするか決めるまでの間は十分にやっていける」
「それじゃ君はその場その場の雇われ者でしかないじゃないか。もっと別の働き口、もっと安定した給料を払ってくれる所で働こうって気はない?」
 えらくあからさまな言い様だが、彼は焦ってきているらしかった。交代の者が来るまであまり時間が残っていないのは彼も気づいているはずだ。オレは椅子に腰掛け、そういう話を聞くのは初めてではないという雰囲気のスレた大人になりきろうをした。
「オレは自分で自分を傭兵みたいなもんだと考えるようにしてるんだよ、 同志 タバリーシ 。だけど義理堅い傭兵なんだ。一度雇用契約を交わしたら、その契約期間中は忠誠を尽くす。絶対に寝返ったりはしない」
 それで差し当たり彼は口をつぐんだ。そう、もしオレがThrushを相手方に売ったとしたら、その相手方だってオレをけして信用するまいって事だ。

 それから先の会話はロビンソンの副官、ルイス・サリナスが囚人用の食事を持って来たので出来なかった。オレがソロの左手を食事が出来るよう解いてやっている間、ルイスがずっと見張っていた。ソロの手つきはしっかりしていて、眉ひとつ動かさずに皿のシチューを平らげ、味付けについてコメントしたりさえもした。
 その後、またサリナスの監視の下にオレはソロを慎重に椅子に拘束しなおした。オレはソロに色々と喋りすぎた。これ以上の会話を拒否し、代わりに椅子に座って彼を見張っていた。奴から目を離すなという命令だったが、オレは両目とも離さなかった。自分の監視下でソロに逃げ出すようなまねはさせない、とオレは決意していた。
 そしてやっと安心の時がやってきた。ハブルと呼ばれているニューヨーカーで、決してバカではないが自分の能力を過大視するきらいがある。オレは取り組んでいた計画書をソロの銃と一緒に引き出しにしまい込み、あとは奴に任せて出ていった。
 何か腹に入れておこうとオレは食堂に行った。食べながらもソロとの会話を思い出す。オレの行動はらしくないほどに向こう見ずだった。オレは自分自身に毒づいた。ロシア語が喋れる色男にのぼせ上がるなんて。自分が誰で何者なのかを忘れるな。あんな軽はずみな行動は命取りになる。
 頭の中はぐちゃぐちゃで、何かを壊すか喧嘩をふっかけるかしたい強い衝動に見舞われていた。ストレスが溜まっているんだ。この嵐を納めるのに何かしなくては。自室に戻ってもとても眠れそうにない。

 夕方の遅い時間で、いつものポーカーのメンバーが片隅に集まっていた。食事を終えたところでオレは連中に混ぜてもらった。ウィルソンは細かい性格で、部下が娯楽として賭け事をするのは大目に見たが絶対に低いレートでやれと言い渡していた。これはオレにもありがたかった。週に三、四回ほどポーカーをして、ちょこちょこと勝っては負け、周囲の噂話を聞き込む。そのうちに連中もオレを仲間として認めるようになった。彼らはありていに言ってさほど強くはなく、オレは慎重に、ものすごく強くもなければ弱くもないぐらいのバランスを取りながらカードをした。
 綱渡りといえばオレの人生だってそうだ。いつの日かオレはロープの上から落っこちるかもしれない。受け止めてくれるネットもなしにはるか下へ下へと。見知らぬ国に暮らす異邦人なんてそんなもんだ。
 カードの合間にオレは話題をこの辺りの売春婦のことに持って行った。大概話のタネになるのはもっぱらそっちだったので、これは難しいことではなかった。ここの男たちの何人かは、次の土曜に揃って地元の売春宿に行くつもりらしい。向うの方からオレも一緒に来いよと言わせるのも簡単だった。オレをまともな男に『矯正する』機会なんだそうだ。オレは来るつもりがあるような態度を見せておいた。らしくない行動ではあるが、身体のなかで泡を立てて渦巻いている緊張感をどうにかして消したかったのだ。

 真夜中になって、サリナスがハブルと見張りを交代するために出て行った。そして数分して戻って来た。ソロが逃げ出した。哀れなハブルを倒し、部屋からいなくなったのだ。
 その夜はそれから大忙しだった。オレ達は基地じゅうを、次には周囲を探し回った。ソロの姿はなかった。いつまでもウロウロしているような奴じゃないだろう。
 この基地は不測の事態、U.N.C.L.E.に発見された時のことを考えて念入りに設計されている。タコとか蜘蛛の形を想像するといいのだが、ソロが閉じ込められていた部屋はその脚だか触手だかの先っちょのようなもので、その部分を封鎖して基地の他の部分への入り口を隠してしまうことが出来た。で、オレ達はその通りにした。
 オレは自分の『オフィス』から持ち物を片付けた。机の引き出しにはソロの銃と通信機と一緒に、扱っていた書類――爆発物を仕掛けた罠のある地点を念入りに書き込んだ、基地全体の青焼きの写しが入れてあった。その引き出しは、勿論のことに空っぽになっていた。
 青焼きの複製は、オレが自分でわざわざ写したやつだ。それがあるのを知っている者は他に誰もいない。気づかれるようなへまはしないさ。

 オレ達はそれから数日、じっと息を潜めて過ごした。U.N.C.L.E.の連中がやってきて、ソロが捕らえられていた辺りを探っていた。そしてもう何も残っていないと判断したらしかった。
 ひとまずオレは胸を撫で下ろした。そして機会を見て逃げ出すことを考え始めた。ウィルソンはU.N.C.L.E.の連中を完全に騙しおおせたことが分かるまで基地から離れることを禁止している。もしオレが抜け出そうとして捕まったら、ウィルソンはソロに逃げられたことの責任を取らせてオレを殺すだろう。でなくてもいずれ泥を被るのはオレになる。オレは外国人で、『オカマ野郎』で、Thrushの正式なメンバーではない。スケープゴートにされるにはうってつけの存在だ。

 それから三日目の夜、オレの所に不意の客が来た。オレは適当なところでずらかる気になっていたので、服を着込んだまま眠っていた。よほどぐっすりと眠りこけていたか、彼が物音ひとつ立てずに入ってきたのだろう、気がついたら掌で口を塞がれていて、頭には銃が押し付けられていた。歯の間から漏れるような静かな囁き声がする。
「もし騒いだら君を殺さなきゃいけない。わかった?」
 オレは頷いた。手と銃口が離れて、また声がした。
「ゆっくり起き上がって、両手を頭の上に」
 部屋の中は真っ暗闇だったが、相手は野戦用の装備をしているのかもしれない。なのでオレは言われた通りにした。少し置いて、部屋の明かりがついた。もちろんそこに居たのはソロだ。声でわかっていた。重たげな暗視ゴーグルを銃を握っていない方の手に持っている。今の彼はきっちりと服装を整えていて、髪の毛一筋乱れていない。もう少し着崩れて乱れのあるほうが好みだ、とオレは考えた。彼はオレの服装をちょっと不満げに眺めている。ジーンズにチェックのシャツにスニーカー。
「君はいつも服を着たまま寝るの?」
 オレはにまっと彼に笑みを返し、頭から手を外した。
「もし誰か来るって分かってたら、全部脱いで待ってたさ」
 彼は口元を引き締めた。その顔つきは、ふざけるなと言いたいのだなとオレは思った。
「まったく油断の出来ないヤツだな……僕から見えるところに手を戻すんだ」
 彼がこちらからお願いしないかぎり撃ってこないのは分かっていたし、からかわれるのも面白がっている。オレは相手の目をじっと覗きこんで微笑んだ。
「いつでも検査してみればいいよ。その方がお互い楽しめるんじゃない?」
 乏しい明かりの下でも彼の頬が紅潮したのがわかった。彼は咳払いし、話題を変えた。
「銃はあるか?」
 オレは頷いた。
「どこだ?」
「枕の下。タンスの引き出しの中にもう一丁入ってる」
 オレがもっと他に何か言うのを待っているようなので、わざと無言のままでいた。とうとう彼のほうでまた喋り始めた。一点いただきだ。
「何故僕がここに来たのか知りたくない?」
「あんたは話してくれるつもりなんだろ」
 オレの個室は狭く、ベッドと椅子がひとつとタンスがあるだけだ。彼は椅子に座って落ちつこうとしている。その間も常に銃はこちらに向けて警戒は怠らない。偉いものだ。
「君の記録はすっかり調べた。僕の上司が、君と話がしたいと言っている」
「その男もブロンドがお好みなの?」
 そのコメントは無視することにしたらしく、彼は椅子に座りなおした。
「君のフルネームはニコライ・アンドレイヴィチ・カミンスキー。昨年地中海で、艦上から行方不明になるまではソ連の海軍に所属していた。転落したのか自分から飛び込んだのかは不明となっている」
 彼は何かを期待してそこで言葉を切った。オレが何も言おうとしないので、彼はまた続けた。
「情報に拠ればその時君は、素行不良で艦の営倉に入れられていた筈だとある。どうやって営倉を抜け出したのか説明できる者は誰もいない」
 また話が区切られたが、既に知られている以上の情報を彼に渡すつもりはなかった。オレはじっとして、どうやって彼がオレの事を調べ上げたか知りたいと思っていた。彼はちらりと腕時計を見遣り、話し続けた。
「君は潜水士で、爆発物取り扱いについての訓練を受けていることになる。それ以外には、戦争中に両親を失って、あちこちの孤児院で育てられた。知能テストの成績は素晴らしかったが、反社会的な行動で度々問題を起こしている。不思議なのは、それでいて君は社会不適合者のための矯正施設入りを免れて続けてきたことだ」

 突然室内の照明が点滅を始め、と同時にアラームが鳴り出した。U.N.C.L.E.の連中が送電線を切り、非常電源に切り替わったのだろうとオレは推測した。当然のこと、U.N.C.L.E.にはオレの持っていた青焼きが渡っている。警備装置の殆どを無力化させる術も掴んでいるだろう。警報装置の方は、オレはあまり関わっていなかったので一番厄介だったはずだ。しかし他の部分、注意深く書き入れて置いた爆発物の位置や、外界から遮断され必要とあれば自爆装置が働く建物の構造などは、もう相当に丸裸になっている。
 部屋の外で走り回る足音がした。誰かが大声で命令を下し、銃声が響く。機関銃のパパパ、という忙しない音。単発銃の発射音。誰かが叫び声を上げ、喉をゴロゴロ言わせるぞっとする音で終わる。外でのドンパチがひとしきり収まってから、オレの部屋にも動きがあった。もう少しの間二人とも座ったままでいたが、ようやくソロは腕時計を一瞥するとポケットから手錠を取り出し、ベッドの上に放った。
「出かける時間だ。そいつを嵌めて」
 オレはそれを手に取り、彼を見上げた。相手は明らかに何か厄介なことが起きるかと緊張を走らせた。彼をからかうには不向きな雰囲気で、オレはじっとしてただこう尋ねた。
「こんなもの必要なの?」
「その方が君にとって安全だ」
 彼は言葉を切り、オレは相手がどう出るかとうずうずしながら待った。彼はプロフェッショナルなのだから、こちらから仕掛けてこない限り撃ってきたりはしない。それなら、オレだってそんなことはしない。
 ソロは自分から説明するのが気に入らないようで、唇をきゅっと結んだ。
「このドアの向こうではまだ撃ち合いが続行中だ。二人で外に出て、もしThrushのお仲間が君が僕と一緒にいるのを見れば、裏切ったと思って君を撃つだろう。もしU.N.C.L.E.のエージェントが君の姿を見て、仲間じゃないと分かったらやはり君に銃を向けるだろう。君が手錠を嵌めていて、僕に捕らえられたんだということが明らかなら、どっちの側からも君は撃たれたりしない」
 それは理屈に合っている。オレだって必要もないのに撃たれたくはないのだが、鎖に繋がれることを受け入れるのは楽なことではなかった。
「うーん、いつもは縛られたりするのイヤなんだけど……少なくとも初めてのデートでは……でもあんたの為なら特別!」
 オレは手錠をつけたが、両手は前に出しておいて相手を見上げた。やりすぎない程度に罪の無い表情で。これは難しい。
「それじゃ両手を離してみて」
 ああ駄目だった。両手を左右に広げると、手錠が外れて落ちた。彼は眉を吊り上げると、銃を振ってみせた。オレは手錠を付けなおし、めいっぱい両手を離した。手錠はロックされていて、今度は外れなかった。彼にオレの行動をこうも簡単に読まれてしまっていることに、少しばかり戸惑いを感じる。
 ベッドから両脚を振り下ろして立ち上がると、ソロがドアを開けて外を覗いた。騒ぎはすっかり収まっていて、通路はがらんとしていた。彼はドアを一杯に開けて、オレの左手に手を置き、右手は銃を持って脇に突きつけてオレを外に押しやった。
 オレの個室は上の階にあり、オレ達は階段を降りて基地の裏手へ向かった。あちこちで男たちの一団が沢山の部屋を調べているのに行き当たった。全員ソロを見知って頷いたり手を振ったりして挨拶し、オレを大なり小なり好奇の目つきで眺めていた。ある場所を通りかかると、幾人ものThrushの元・同僚たち、今は捕虜になった連中が手錠をされ、揃って尋問されるのを待っていた。何人かは負傷している。その後オレは、目の前の床だけに視線を集中して歩いた。
 制圧されたThrushの砦を歩いてゆくのはキリがないほど長く感じた。ソロと丁々発止した時の気力は抜け落ちてしまって、あとにはぐったりとした疲労だけが残っている。オレの、Thrushでの日々は終わってしまった。未来に何があるかは皆目分からない。ソロの暖かい身体がすぐ側にあるのを意識しながら、オレはとぼとぼと歩いた。肩に置かれた彼の掌がずしりと重い。彼に押されるようにしてオレは前へと進み、掌が引き止めたので立ち止まった。
 オレ達は外に出ていた。もっと大勢の人間が動き回っていて、ソロが話をしている。一台の車に向かわされ、オレは助手席に上がりこんだ。誰かがオレの両手を手錠ごとグローブコンパートメントの中に固定されるよう繋いだ。ソロが脇に押し付けていた銃を引く。彼の身体の温もりが離れてしまい、オレは肌寒さを感じた。
 まだ朝の早い時間で、夜明けから間もないようだ。頭の中は真っ白で、考えることもできない。オレはソロが車に乗り込んで、エンジンをかけるのをぼんやりと意識していた。高速道路に入るより前に、オレはぐっすりと眠り込んでいた。

 どれぐらい経ったか、オレはソロに揺すり起こされた。車は建物が立て込んだ場所を走っていて、多分ニューヨークなのだろう。眠ったせいでオレの気分は少し良くなっていた。多分、この次に何が起ころうと対処することも出来る。オレは隣のアメリカ人を見上げた。彼は道路のほうを向いていたが、赤信号で止まった時にこちらを向いて不思議そうな顔をした。
「随分とクールに構えてるじゃないか」
 相手が何を言っているのかオレにはわからなかった。車の中は快適に暖かい。オレが戸惑っているのを見て、彼は首を振り、説明した。
「君は目下敵に捕らえられてて、これから尋問を受けることになる。それから多分刑務所行きになるかして、どちらにせよある時点で、君はソ連邦に送還されるだろう。で、君がどうしてるかと言えば、何事もなかったかのように二時間オネンネしてる」
 オレは彼に言われたことを考えてみた。オレが何をすると思っているのだろう?手錠で繋がれているのだから、逃げるのは難しい。もっとも逃げ出そうとするなら、さっきまで居た片田舎よりも都会の方が隠れるには都合がいいのだろうけど。
 彼はオレからの返事を期待していなかったようで、すぐ後にこう言った。
「送還されたら君は一体どうなるの?」
 その答えなら簡単だ。
「脱走兵がどうなるか誰でも知ってる。銃殺さ。その前に見せかけの裁判があるかな、悪い例として記録するために」
「そんなこと考えて嫌な気分にならないのか?」
 いいやちっとも。でもオレは彼に教えてやるつもりはなかった。
「営倉や精神病院にぶち込まれるよりは、銃殺の方がずっとマシさ」
 彼はそれには返事をしなかった。車はレンガ造のビルの前に来ていて、一階は店舗、二階はオフィスかアパートになっているらしい。目的地としてはおかしな場所だ。そこでソロが言った。
「君をこちらの入り口から連れてくるように言われた。すぐに車からは離してあげるけど、手錠はつけたままにしてもらうよ。車から降りたら、仕立て屋の中に入っていく。いつでも銃は向けておくし、他のエージェントも見張っているので大人しくしておくに越したことはないよ。皆撃つ時は遠慮はしないから」
 そんな話を真面目くさった顔で伝えてくる。オレはぱちぱちと睫毛をしばたかせ、作り笑いを浮かべた。
「言われたことは何でもするよ、アンクル・サム。中に入らなくとも、僕があんたのために何かしてあげられないなんて本当に思ってるの?」
 そして意味ありげに彼の股間に視線を置いた。彼は、第三者からはオレに噛み付かれたかと思うほどの速さで車から飛び出した。反対側に回ってくる彼の顔が赤い。オレは手首をじっとさせ、彼が手錠を鎖から外せるようにして、車のドアを開けてくれるのを待った。オレ達はぴったりと寄り添って歩き、階段を降りて店の中に入った。蒸気プレスの奥にいる親爺がソロに向かって頷くと、オレ達は試着室に入って行った。

 ブースの奥には隠し扉があって、U.N.C.L.E.のNY本部に繋がっていた。古めかしい店とはうって変わって、壁は全部ステンレス鋼製のようだ。モダンな造りのデスクの奥には可愛らしい若い女性が座っている。オレは哀れっぽくみすぼらしげに見えるよう全神経を集中させた。人間というものは第一印象で判断を下すものだ。ソロは女の子とお喋りを始めた。
「やあワンダ、いつも素敵だね。こちらは同志カミンスキー君、名簿に載ってると思うけど。捕虜用のバッジをくれる?特別なのをね」
 ワンダはにっこりと微笑み返し、ソロの襟に仰々しくバッジを付けてあげてオレにもバッジをくれた。彼のバッジは黄色でNO.11の表示がある。僕のは緑色でNo.117。机の横を通り抜ける時、ソロは銃を仕舞っていたがまた取り出して、部屋の奥にある自動扉の方へ行くよう促した。しかしそこで女の子が呼び止めた。
「ナポレオン、ナイフはどうするの?」
 ソロは女の子の方を、それからオレの方を見た。オレは知らんぷりしていた。デスクにある画面を見ながら、その子が言った。
「彼の右側の袖にと、もう一本ジーンズのウエスト部分にナイフがあるわ」
 また銃で指示される。手錠をされたままではぎこちなかったが、ソロは手伝ってくれそうになかったのでオレはどうにかナイフを取り出すとデスクの上に置いた。ソロが苦虫噛み潰したような顔をしているので、オレは最大級に可愛らしく邪気のない微笑みを浮かべて言い訳をした。
「あんたは銃については聞いたけど、ナイフには何も言わなかったでしょ」
 女の子がクスクスと笑い出し、それでソロはさらに機嫌を悪くした。オレ達はようやく扉を潜り抜け、同じようにステンレス鋼で覆われた通路に出た。
 通路をまっすぐ歩いてエレベーターに乗って、下りたらまた幾つかの廊下を歩いて別のエレベーターに乗った。よく分からないが同じエレベーターであるように見えて、ソロがオレを混乱させようとしているらしい。オレは何も言わなかった。彼は依然どこへ向かっているのか話してくれていない。
 通路はしんとしていて、ソロが立ち止まるように言った。彼はその茶色の瞳に当惑を浮かべてオレを見下ろしている。通路の眩しい照明で、その瞳の色に所々緑色が混ざっているのがわかった。ひたりと身体を寄せているので、彼のつけているコロンの香りも伝わってくる。やはりオレより2インチばかり高いので、彼の眼を覗き込むには顔を少し上げていなければならなかった。
 彼は急に、らしくもなくためらっているようだった。オレはじっと待った。彼は何を考えているのだろうと思いながら。
「君を上司に合わせるように言われている。ウェイバリー氏は昔ながらのジェントルマンだ。君のおかしな、小ずるい冗談をお気に召すタイプじゃない。君を救ってあげられるほどの権力も持っているが、でなければ次の便でモスクワへ送り返しもできる。だから……よく考えて」
 それは良いアドバイスで、しかもオレが散々彼をおちょくって来たことからすれば勿体ないぐらいに思える。オレは表情を緩めて、お礼を言った。オレ達はまた進んでゆき、次の角を曲がった。またデスクがあり、また可愛らしい女性が座っている。
「このまま行って、ナポレオン。ウェイバリーさんがお待ちよ」

 U.N.C.L.E.第一課のトップ、アレクサンダー・ウェイバリーはツィードのスーツを着た英国紳士だった。氏のオフィスは円形の会議机兼彼の事務用デスクを備えた大きなもので、背後には通信システムが目を見張るほどにずらりと並んでいる。六十代の半ばほどに見えるが、色褪せた青い瞳は針のように鋭く光っている。
「あぁソロ君、何を手間取っておるのかと思っていたよ」
 彼はソロが手にしたままの銃を指し示した。
「それは必要ないので仕舞っておきたまえ。では二人とも着席を願う」
 オレ達はテーブルについた。ソロが上司の方を見ながらもオレの監視が出来る位置に座ったのをオレは意識した。両手をテーブルの上に置くと手錠がカチャリと鳴る。ウェイバリー氏はそれに気がついた。彼は全てのことに気がつくのだ。
「おやソロ君、それを外してやらんかね」
 この二人が一緒にいるところは見ものだ。さしずめ年経た狐と若い狼か。ソロは不満らしかったが、言われた通り手錠を外してポケットに入れた。ウェイバリー氏はオレの方を向いた。何かが――おそらくは楽しげな色が――彼の眼の中で瞬いている。

「……それでよろしい。U.N.C.L.E.ニューヨークにようこそ、クリヤキン君」


To be continued



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