AMATEURS
by Emrys
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Act-1
「アマチュアめ、」
車が道路から飛び出さないよう、ハンドルと格闘しつつ、食いしばった歯の間からイリヤは呟いた。
「素人(Amateurs)なんざ大嫌いだ」
彼にしてみれば、素人はプロ以上に危険だった。例えばスラッシュの手練れなら、どのぐらい薬物を用いれば、もしくは、またはそれに加えて、どのぐらい肉体を痛めつければ、その対象を永遠に黙らせてしまう危険を犯さず生かしたままにしておけるかの平均値を――ソロの場合はその平均値を越えている――正確に知っているものだ。
素人は無知ゆえに命まで奪ってしまう。
パートナーを救出するのは楽な仕事<Cake-Work>だった。お笑いとしか言えないセキュリティ、拷問のやりかたは無能そのもの、見張りの少ない牢にごくふつうの手錠――どれもこれも素人考えだ。馬鹿にされても仕方がない。
彼の気がかりはソロの状態だった。意識がなく、口から出血しており、瞳孔は定まらずチョコレート色の虹彩にはほとんど光が失われていた。あの素人共にも、対象を薬物で廃人にしてしまうのは不合理だと気付き、彼を痛めつけたのだろうが、既に喋りたくとも喋れなくなっていたというわけだ。
彼は苛つきながら考えた。
最近スラッシュが、このバーモントの片田舎に手を伸ばしている、という報告はあったものの、これは到底スラッシュのやり方には及ばない。何を企んでるかもわからない素人のしわざだ。
悪天候と追いかけっこをするように車を走らせながら、イリヤは空をちらりと見上げた。どんよりとした黒雲が頭上に押し寄せ、稲妻の帯が遠くで閃いている。気圧が乱れてラジオが役に立たなくなる前に、イリヤは気象警報が乱発されているのを、雑音の間から聞き取った。《激しい雷雨・・・・どしゃ降り・・・・雹・・・・洪水・・・・・・車の運転には警戒を・・・・移動中の各車両は、安全な避難所に》
安全な避難所。言うほどには簡単に行くまい。特に薬物を打たれ負傷している男を後部座席に抱えていては。ホテルは駄目だ、ソロを他人の目から隠して部屋に連れ込む困難さは別にしても、素人連中が探しているとするなら、そこは真っ先に敵と出くわす場所だった。行く手に何もないこのハイウェイには、ホテルそのものがないかもしれない――彼は考えた。
彼等は何マイルも続く農場と、閉鎖中のスキーリゾートに挟まれた、小さな田舎町にまで辿り付いた。一年中稼動しているスキーリゾートは別にして、こういう場所は何より有名度が求められており、ここでは『カルヴィン・クーリッジ(第三十代大統領)生誕の地』というのがそれらしい。
頭上の空はどんどん暗くなり、稲妻が激しくなるにつれて、道路を猛スピードでいくら走っても他の車に出会うことはなく、また嵐をやり過ごす間に隠れていられそうな農場の施設も見当たらなくなってきた。
ついに、どこかの農家に車を停めて避難させてくれるよう頼み、パートナーの状態についてもっともらしい理由を説明しようという結論に達したまさにその時、古びた旅行者用の貸しキャビンが右手に現れた。
『空室あり』のサインが、強くなってくる突風にあおられて跳ね上がっている。がたがたのベイマツの小屋が、クリヤキンにはWoldorf Astoria(NYの大型高級ホテル)に見えた。
事務所の前で車を停め、ベルを鳴らして、待った。更に待った。もう一度鳴らした。
ようやく一人の老人が、ジャックダニエルの匂いをぷんぷんさせて、キャビンに繋がる砂利道をぶらぶら歩いてきた。
「待たせてすまねえな。戸口に目張りしてたんでよ」
別人を装うのはイリヤのお得意だった。彼の外見だけは特徴がありすぎて容易に忘れてもらえないのだが、注意深く普段のアクセントを抑えて、ニューヨーク西部ふうの平板な声を完璧に作った。
「旅の途中だが、一晩泊る場所が欲しい」
「ひでえ嵐が来たな。南海岸をやっつけたハリケーンの奴めの尾っぽだ。道路は閉鎖されたって聞いたよ。シングルかね?」
「もしあればツインを。オレの仕事仲間が外の車に居る。ちょっと気分を悪くしててね」
クリヤキンは酒ビンを傾ける仕草をした。
「ゆうべバッファローでいい商売が出来たんで、その祝いをしたんだ」
ソロが自分のこの不名誉な言い訳にどう反応するか聞いてみたいもんだ、と彼は思った。ソロという男は普段鍛えているだけに、本当の二日酔いの経験などないかもしれない。
老人がにやりと笑った。
「その翌朝は、ってやつか?わしにも覚えがあるけど、自分で嫌んなるよね。一番いい二人部屋は7号室、この道のとっつきだ。一番上にあるから、大雨が来ても水は上がってこねえさ。税込み14ドル50セント」
クリヤキンは礼を言って支払いを済ませ、砂利道に車を進め2度ほどカーブを曲がった。
7号室の周囲は松の木が取り囲んでいて、ほとんど外からは見えない。申し分なかった。
ソロを中に担ぎ込み、逃げ出す時のためノーズを外向きにして、伸び放題生え放題の茂みと木の間に車を隠した。網戸のついた小さな窓2ヶ所に簡単なアラームを付け、上から下がった60ワットの明かりで部屋を見渡した。
広さ20フィート四方、固そうなシングルベッドふたつ、がたがたの化粧台と椅子。薄汚れたふさのついた古いシェニール織りのベッドカバー。マツ板の壁は年月とタバコの煙で黒ずみ、昔の葉巻と、さらに昔の絨毯と、少々の殺虫剤の臭いが部屋に淀んでいた。
片方の扉は小さなクロゼットに続いており、もう一方は狭いバスルームに繋がっている。便器と、イリヤの生まれる前からありそうな、ふちの欠けた陶器の洗面台と、壁に取り付けのシャワーとで広さは6フィート四方もない。薄くてごわごわのタオルは比較的清潔で、シーツも似たようなものだった。子供のころずっと住んでいた場所に比べればホテル・リッツも同様に見える。
手始めにまずナポレオンの具合を見た。服を脱がせて、慣れた手つきで調べてみる。
彼等がどんな調合の薬物を使ったかはさておき、肋骨のあたりが酷く傷ついていてヒビが入っているらしい。多数の不規則な傷痕、特に喉に絞められたような傷があった。
脹れがあるのは打撲によるものか、何かを注射されたその反応なのかはわからない。少なくともパートナーの腕には4ヶ所の注射跡があった。
口からの出血は彼が頬の肉を噛み破ったせいで、肺や喉からのものではないと分かりイリヤはほっとした。脈や心拍は落ち着いていて、皮膚の感触も平常で、ショック症状のように冷たく湿ったりはしていない。どれもこれも、彼が危惧していたほど酷いことにはなっていないらしい――正体不明の薬物を除いては。
黄ばんだシェニール織りのカバーでナポレオンを覆った時、貨物列車のような轟音を立てて嵐が来た。
網膜を焼く雷光と、上からの大砲をぶっぱなしたような雷鳴がベッドサイドのグラスをカタカタ鳴らし、機関銃を何ダースもいっぺんに打ちまくったような音と一緒に雨が降ってきた。そして、当然のように停電になった。
電気が消えたあとは字も読めないほど暗くなったが、時計を見るとまだ午後の2時だった。切立った崖が小屋の庇に被さっていて、一番の快晴の日でもここは日陰になってしまうのだろうが、今は激しい雨を防ぐのに役立っている。ありがたくイリヤは窓を開け、よどんだ部屋の空気を入れ替え、もう一度アラームを点検した。
この大音響の中ではアラーム音も消えてしまうかもしれないが、あの素人どもがこの天候の中、車を走らせつつ周囲に目を配り、ここへ辿り着けるかどうかは疑わしい。ヘリコプターなら跡を辿ってここに来ることも出来るし、ヘリがあるのは気が付いていた。基地から離れる前に、パートナーの身体や車をざっと調べてみたが、部外者追尾装置や、発信機をつけられている気配すら感じられなかった。
これも素人のしるしだ。スラッシュなら、ソロ自身の脱出の手際のよさも、そのパートナーが時を過たず現れるところも経験上よくわかっており、当然ソロに何らかの仕掛けをしていただろう。
彼はベッドに目を遣った。ソロが目を覚ましていた。
クリヤキンは相手の傍に座り込んだ。ぼんやりとした瞳が自分を見据えている。しかし、話そうとしても傷ついた喉からはきしるような掠れ声しか出なかった。
「母なる大自然は『序曲#1812,フォルティシモ』のリハーサルをちょいと演ってるけど、今のところは安全だと思うよ――奴らは素人だ、そうだろ?」
イリヤは尋ねた。ソロは頷き、もう一度喋ろうとし、腫れた喉に阻まれた。イリヤはもっと彼に屈み込んで、切れ切れの声を拾った。
「新しい、薬物の・・・・実験体・・・・」
「どんな種類の?」
「自白作用・・・・幻覚剤」
「投与されてからどのくらい経つ?」
彼は時計を見た。
「今は金曜の、午後2時だ」
「わからない・・・・気絶してて」
「以前使われた自白剤のどれかと似た感じはする?」
否定のしるしに首を振る。掠れた声音。
「感覚がマヒして・・・・めまいと・・・・あたりが揺れて・・・・ぼんやり・・・・」
「瞳孔が開きかかってる」
イリヤは彼を遮り、自分がどうすべきか推量した。
「この一体は嵐ですっぽり覆われてる。橋や道路は封鎖中、基地に戻って解毒剤を取りに行っても、途中でストップだな」
ソロが彼の腕を取り、激しく首を振る。さらに掠れ声。
「駄目だ・・・・スラッシュの・・・・『入札者』が・・・・来る・・・・実験体を」
「奴ら、あんたをサンプルとしてスラッシュに渡して、処方を売る気だったのか?」
ソロ頷く。
「素人ども!」
イリヤはもう一度重苦しく溜め息をついた。
「アマチュアなんざ大っきらいだ」
もしスラッシュがこの時既に基地に来ていたら、助かるものも助からず、薬物の処方もその製造者もスラッシュの手の内に入っていた事は二人共によく分かっていた。
「解毒剤の事で、奴ら何か言ってた?」
相手の声は相変わらずで、ただ頷いた。
「ウェイバリー課長を呼び出そう」
彼は決心した。
「基地に、救急隊を装った部隊を送り込めばいい。この嵐じゃスラッシュも着いてないかも知れないし、あんたを治療してもらわなきゃ」
激しく首を振ったせいで、目眩と吐き気に襲われてソロはしばらく目を閉じた。
「・・・・よけい、味方を・・・・危険に・・・・君が危険だ・・・・もっと、大事な、」
「僕のことはいい」
クリヤキンが冷静に言った。
ソロはぼやけた目で可能な限り、彼を睨み付けた。
「だめだ」
「いいの」
クリヤキンは言い張る。
「僕が基地に着いた時、建物には役立たずな警備が小人数しかいなかった。多分、もうスラッシュと落ち合うところだったんだろう。あんたは連中を目撃して、この薬物についての何かを知ってる唯一の証人なんだ。連絡は、するよ」
ソロの状態では彼を止めるのは無理だったが、日に焼けたオリーブ色の顔は青ざめ、ひどく不快そうな表情だった。
問題はさらに起こった。悪天候のせいで通信が妨害されていた。
イリヤが言った。
「事務所に行けば公衆電話がある。それを使えば回線を経由させて連絡がつく。今日は金曜だから多分・・・・」
彼はそこで少し考えた。公共の回線で、中継ポイントを経てウェイバリーのオフィスに連絡を取ったことはめったに無い。ソロはあからさまに協力する気がないらしく、顔を背けてしまった。
「カナダ12経由か。すぐ戻る。ここに僕の銃を置いていくから」
ソロの顔が急に向き直り、軋んだ声を吐き出した。
「無駄だよ・・・・狙いがつけられない・・・・何もかもゆらゆらして」
イリヤはドアを開け、鉛色の空から降ってくる水のカーテンを憂鬱そうに見た。車まで駆けていく間に服の下まで雨が染みた。砂利道は今や小川のようになり、車がエンストしないよう祈るばかりだった。オフィスまで走ってさらにずぶ濡れになった。
不運にも、といって別に驚きはしなかったが、電話線もご同様に駄目になっていた。
震えながら小屋に戻った時には、彼は服を着たままプールに飛び込んだようなありさまだった。びしゃびしゃ水音を立ててバスルームに行き、服を脱いで、しずくを切るためシャワーヘッドに引っかけ、タオルで身体を拭いて部屋に戻った。ソロは胎児のように身体を丸めて横たわっている。急いで乾いたスウェットパンツとTシャツに着替え、ベッドの横にひざまづく。
額に手を当ててみると、確実に体温は上がっていたが、彼は凍えているかのように身震いしていた。
「ナポレオン?気分が悪いのか?」
もう片方のベッドからカバーを外し、パートナーの身体を覆った。ソロが頷いた。
「電話は使えなかったよ」
地域地図によれば、60マイル先に一番近い病院があった。彼はそれを告げ、付け加えて言った。
「但し、もしスラッシュが基地に着いてたら、奴らはあんたが既に薬でやられてるのを知るだろう。たったひとつしかない病院には目をつけている筈だ」
応答なし。ソロは全神経を集中して、波状になって現れては消える幻影と戦っていた。壁はうねりながらどろどろに溶け、嵐の音が自分の名を怒鳴っているように聞こえる。
「何が出来るか、考えるとしようか」
イリヤは穏やかに言った。豪雨で動けないままではストレスが溜まる。いきあたりばったりにスラッシュに取り入ろうとするような素人化学者どもに、自分のパートナーを奪われることなど考えたくもない。
鞄から地図を引っ張り出し、夕闇に沈む狭い部屋で、ペンライトを使ってもういちど調べはじめた。
細い青線のハイウェイは、山の間をくねくねと走り、小川や河をまたいでいる。そこは今は激流になって、掛橋は閉鎖されているだろう。手がかりを探しに行く間、パートナーを残しておくことは出来なかった。ということは、車の後部座席に彼を無事に座らせておかなければならない。
「ナポレオン、自分で自白剤はまだ効いてると思うか?」
頷いた。なら彼を残してはいけない。対抗措置が見つからない、新種の自白剤にやられているのなら彼を連れても行けない。
「ナポレオン、どのくらい強く?」
従順な囁き声。
「充分に、強く」
これ自身が自白剤による答えだとイリヤは気付いた。普段のソロなら、パートナーに対してであっても、気に入らないことには返事すらしない。イリヤは軽くこう言った。
「
Чёрт
<チクショウ>」
そして膝を伸ばして立ち上がり、選択を始めた。
警官に掴まる危険を押して出かけるか?スラッシュが警察や市民無線の周波数をモニターし、しかるべき報告が来るのを待っているのは分かっている。
彼が自分達について説明し、身分証をチェックされるまでずいぶん手間が取れるだろう。特に自分はそのロシア名から、怪我した男の説明まで。電話回線を経由し遠回りで本部に連絡を取るのも時間がかかる。その間にスラッシュが、公安か救急隊に扮して現れる。
ソロとクリヤキンを手に入れることは、彼等の重大な関心事であって、更に新種の自白剤付きとあらば、鳥のバッジ付きの袖をまくってお待ちかねだろう。
あまりいい手だとは思えない。
ここに留まり、ニューヨーク本部ではまだ彼等の位置誘導波を追っていて、ずっと同じ位置にいるのは何かあったせいだと気付き、ウェイバリーが部隊を派遣してくれるのを祈るか?あの御老人は、事あるごとに、部下の諜報員に自分も含め誰もが消耗品だと言って聞かせてはいるものの、U.N.C.L.E.はまた、ソロとクリヤキンを生かしておくにやぶさかではないだろう――今回の高く付いた経費を働いて返しさえすれば。
ソロはこの間の任務で高級スーツを駄目にしており、今回でもう一着駄目にするのはあきらかだった。
彼は口に出して言った。
「ここにいたほうが幾らかマシみたいだな、ナポレオン。少なくともいましばらくは」
ソロが頷いた。クリヤキンは冷ややかに、自分達の鼻先でサンプルがかっさらわれたのだから、スラッシュはこの薬物を製造者自身に使って自白させたらいいのにと考えた。あのバカでまぬけな素人どもにはそれが相応しい。
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