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The Tuesday Affair

by RAC

PART1

 ナポレオンは一人、グラスにまた酒を注ぎ、かなりの量をテーブルにこぼした。それは彼が酔っているからでもあり、また酔いきれていないからでもあった。一体どのぐらいの酒があればものの役にたつのか、彼にはわからなかった。

 イリヤが死んだ。

 今朝自分がオフィスに入って来た時、彼は生きていた。いつものようにちょっとしたお喋りをして、それから二人はウェイバリーから与えられた任務に出かけた。そして、イリヤは任務から戻らなかった。
 その日の午後遅く、ナポレオンはウェイバリーのオフィスに呼び出され、この老人にそんなところがあるとは思えないほどの憐れみを持って、パートナーの死を告げられた。おそらくは罠に嵌められ、撃ち殺されたのに違いない、と。
 ナポレオンは信じようとしなかった。死体安置所モルグまで出かけていって、イリヤの亡骸を、彼の命を奪った、胸に開いた弾痕をこの目で見せろと言い張った。自分のパートナーの、一番の親友の、いやそれ以上の――。
 そこまで考えて、ナポレオンは身が引き裂かれるように感じた。イリヤは自分にとって親友以上の存在だったのに、それを口に出す事もせず、態度で現すこともしなかった。求めていながら、あのロシア人を抱きしめることも、くちづけることも、その身体にふれることもしなかった。
 時が来て、自分たちがそこに至ることをずっと考えていた。いつの日かイリヤが同じように望んでいるという、ナポレオンがただの友人やパートナー以上の存在だというしるしを見せてくれたなら。

 ナポレオンは付き添いの者に、イリヤと二人きりにしてくれと頼んだ。彼らが視線を交わし合うのが目に入ったが、もう一度命じるとその者達はとても逆らいきれなかった。どう思われようが構いはしない。彼に判っているのはこの部屋から立ち去れば、再びイリヤと向き合うことはないということだ。
 彼のパートナーは金属製の机の上で、薄い布を被って横たわっていた。職員が布を引いてイリヤの顔を晒し、イリヤの乳首のすぐ下、彼の心臓を貫いた弾丸の痕から数インチほどのところで折り返してあった。
 ナポレオンは最初に、それが本物なのか確かめでもするように傷口に触れ、それからイリヤの頬に触れた。そこに熱など全くないというのに、熱いストーブに触ったように彼は手をひっこめた。イリヤの肌はひどく冷たく、柔らかさもすっかり失せている。これ以上ないほどに思い知らされて、ナポレオンはその場に膝を折り、鳴咽を漏らした。
 我が身をえぐられるような喪失感だった。全身が締め付けられ、胸に弾丸が撃ち込まれたように感じる。けれどそこから流れ出てくるのは血ではなく、夢や希望、そしてあのはにかむような微笑みの思い出だった。頭を後ろに反らして悲嘆の声を上げた数瞬のち、自分がどこにいるかを、エージェント達がドアのすぐ外にいるであろうことを思い出した。これ以上どんな声も漏らすまいと拳で口を塞ぎ、無理にでも涙をせき止めようと固く目を瞑った。

 考えの及ぶ以上の気力をふりしぼって彼は立ち上がり、その部屋を出た。オフィスに戻り鍵を取って、家に帰ることだけを考え、廊下を歩いてゆく彼に誰もが距離を置いた。イリヤが逝ってしまったことを知ってか、幾人かが目を赤くしている。
 自分がどんな顔をしていようが、それが人をよせつけずにいることを彼はありがたいと思った。同情などかけられようものならその相手をぶち殺さずにおれる自信がなかったのだ。
 呆然としたまま車を走らせ、どうにかガレージに辿り着くと彼は車の中に座ったきり、視線を宙に浮かせていた。そのうちガードマンにどうかしたのかと窓を叩かれて、彼は返事のしようがなく、ぎこちなく笑うと自分の部屋へ上がった。そしてまっすぐキッチンに向かい、最初に目に付いた封を切っていない酒壜を掴み出した。

 それから数時間後。彼はここでこうしており、まだ酔いつぶれきれずにいる。ようやくグラスを一杯に出来たものの、手が震えるあまりにボトルをきちんとテーブルに戻すのがやっとだった。
 もう、この思いをどうしていいのか彼には分からなかった。前にも一度、妻に死なれた時もこうだったが、それはずっと以前のことで、若さという回復力があり、家族や友人に囲まれていて、かつて信じていた教会や神の助けもあった。
 ナポレオンは自分の人生が、いかに他と切り離されてしまっているかを思い知った。イリヤがウェイバリー氏のオフィスに入ってきて、新しいパートナーだと紹介されてからというものの、彼はゆっくりとナポレオンの人生を侵食していった。こうして彼が逝ってしまうと、もう何一つ残っていないと感じさせるまでに。支えとするものも、自分を奮い立たせるものも、何も無い。あるのはただ空っぽのオフィスに、からっぽの、人生のみ。
 突然怒りが込み上げてきて、彼はグラスを握り直すと、壁に向かって投げつけた。すぐあとにボトルも続く。グラスが砕け散り、酒が壁に汚い染みをつけ、ゆっくり床に向かって垂れていくのを彼は眺めた。怒りはまだ納まり切らず、ナポレオンは立ち上がり、乱暴に机をひっくり返した。
 陶製のソルト&ペッパーが床にぶつかって砕け、白と黒の香辛料の粉末が、リノリウムの上でざぁっと勢い良く飛び散った。

 胡椒のせいで一度、またもう一度くしゃみをし、彼は巻き上がる胡椒を避けてベッドルームに移動した。ナポレオンはベッドに腰掛け、少しの間、イリヤのベッドに横になりたいと思った。そして彼の枕を使って、彼の毛布にくるまって眠り、彼の匂いや、彼が使っていた石鹸やシャンプーの香りを吸い込む。時が経って、彼のそんな痕跡が全て失われてしまう前に。
 もし胎児のように丸まり、むせび泣き始めていなければ、アルコールと涙の混合体が眠りへと引き込んでくれなければ――彼はそうしていたかもしれない。

Continued on part2


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