Act-1
Act-2
Act-3
Act-4
Act-5
/5
The Drughouse Affair : Act-2
-W-
(イリヤ、一体どこにいるんだ?)
ナポレオンは内心で呟いた。
悪いことに、自分は間抜けにも階段の途中で足を踏み外した。これで彼が、マークに助けられてなどいたら、汚名挽回のしようがない。
ソロがイリヤとマークを1、2階の探索に遣ったあと、彼は地階へと降りて行った。半分ほど降りたところで、銃声が聞こえた。
急いで向きを変えたせいで、濡れた階段に足を取られ、右足をひどく打ちつけた。
手で足を撫でさすってみたが、骨は折れていないようだ。しかし、パートナーの事が心配になった。
じっとしていられずに腕と左足とで立ち上がり、文字どおり這うようにして階段を上がり、上に着いた所で膝を崩した。
「イリヤ、」
静かに呼びかける。応答がないのが気掛かりだった。
「マーク!」
足早に近づいてくる足音を聞き、ソロは銃を音のした方向へ向けた。イリヤがドアを潜って駆け寄ってくる。彼は安堵の息をついた。
「無事か」
床に座り込んでいる彼を見て、クリヤキンは怪訝そうな顔をした。
「どうした?」
彼は友人の側に膝をついて、その腕を取った。
「Napasha……」
ソロがそれを遮った。
「大丈夫だ。何があった?」
入ってきた方向を振り返り、イリヤが顔を曇らせた。
「マークが肩を撃たれた。大した傷じゃないと思うんだが、彼は動けないし、この建物のどこかに、少なくとも一人はTHRUSHの奴がいる」
彼は立ち上がってナポレオンを引っ張り上げようとし、友人が顔を顰めたのを気遣わしげに見た。ソロはその手を振り払った。
「マークは何処だ?」
ナポレオンは全員を無事に脱出させることを真っ先に考えていた。工場を片づけるのは次の機会でいい。
彼はドアの枠に、重い身体を寄りかからせた。
「厨房にいる」
「よし、行って、彼を連れてこの通路から出ろ。僕が援護する。車の所でおちあおう」
ソロは都合よく自分の足の負傷を忘れていたが、彼のパートナーはそれほど愚かではなかった。
「ナポレオン、僕はマークをここに連れてくる。奴を連れてきて、それから一緒にここを出よう」
イリヤは緊張した口ぶりで言った。ソロの表情が堅くなり、命令口調で言った。
「イリヤ、言う通りにしろ。早くマークの所へ」
パートナーの辛そうな顔を見て、彼は声を和らげた。
「Illyusha、本当に心配はいらない。マークを連れて出ろ。僕もすぐあとに続く」
言い争っても時間の無駄だと思い、クリヤキンは銃を手に厨房に駆け戻った。
マークを立たせ、銃を手から外させて、手をベルトに差し込み、銃をホルスターに納めた。
「大丈夫か?」
いきなり動かされてマークは苦痛に顔を顰め、ただ頷いた。
イリヤはマークを肩に担ぎ、顔を下にさせて支えた。銃をホルスターから抜いたまま、次の部屋へと急いで戻った。ナポレオンの横を通り過ぎる時、一瞬だけ立ち止まった。
「マークを車に置いたら、すぐ戻ってくる」
相手を愛しげに一瞥し、彼は出口へと歩き続けた。ソロがお得意の『ソロ・スマイル』を投げかける。
「行けよ、ぼくもすぐ行くから」
イリヤはそっとドアを出た。パートナーに背後を守られているのだから、安全なのは分かっている。負傷者を車に載せるため、彼は出来るだけ足早に駆けた。
イリヤは後部座席にマークを寄りかからせた。彼の意識ははっきりしている。
「大丈夫そうか?」
イリヤは尋ね、建物を振り返った。
「大丈夫だ。行って、ナポレオンを」
スレートが答えた。
「行けってば、傷はきれいなもんだ」
イリヤは頷き、さっと向きを変えて建物の方へと駆け出した。
全速で走って、あと100ヤード弱のところまで来た時、建物が爆発し、巨大な火の玉に包まれた。
「NAPOLEON!」
爆発のショックで地面に倒れながら、彼は叫んだ。
立ち上がり、イリヤはなおも地獄の業火に包まれている建物へと走りだした。
「ナポレオン!」
悲痛な声で彼は叫ぶ。入り口の扉まで辿り付きかけた時、背後から倒された。
「Napasha!」
這いながら、彼はまた叫んだ。
どうやってこんなに早く動けたのか、マーク自身もわからなかった。彼は両腕で、まるで悪役のようにイリヤを捕まえて、地面に引き倒した。
「イリヤ、もう遅い。彼は助からないよ」
怒鳴りつけて、若いロシアンを正気に戻そうとしたが無駄だった。
クリヤキンは激しくのたうちまわり、足や腕を振り回したが、苦痛の呻き声を聞いて突然動きを止めた。
後ろを振り返ってみて、自分を捕まえているのはスレートだと理解した。
「マーク、立たせてくれ。もういい」
マークは掴んでいた手を緩め、横に転がって燃えている建物に目をやった。
「イリヤ……」
クリヤキンは手を上げて、その男を黙らせ、そして、哀しげな表情でもう一度、建物を目にした。向きを変え、コミュニケーターを取り出す。
「オープンチャンネルD」
彼の声はひび割れて、小さくむせび泣くようだった。ウェイバリーの声が返ってきた時、彼は短く息を吐いた。
「何だね、ミスタ・クリヤキン」
イリヤは僅かの間、目を瞑った。
「消防と救急車と、死体搬送車を呼んでください」
涙がゆっくりと頬を伝い、イリヤの声がまた途切れた。
「工場は爆発し炎上中。マークが負傷、それから……」
あとが続かなくなった。
ウェイバリーの口調が緊迫している。
「ミスタ・クリヤキン、ミスタ・ソロは何処だね?」
苦悶する感情を抱えたまま、イリヤは燃えさかる建物を振り返った。それを必死に抑え付けようとして、彼はやっと聞き取れるぐらいの声を出した。
「――彼はまだ、建物の中に」
コミュニケーターをマークの横の地面に叩き付け、彼はきびすを返して車へと戻った。
-X-
消防隊が消火作業をし、建物の中に入るまでの2時間半、イリヤは車のフードにずっと腰掛けていた。
エイプリル=ダンサーが近づいてきた時にも、まだ座っていた。彼女がやってきて、マークを支え、救急車に乗せて送り出したようだった。
「イリヤ、」
傍に来て立ち止まり、彼女が静かに声をかけた。
彼女の存在も知らぬように、イリヤは建物を見つめ続けていた。頬はまだ濡れていたが、もう涙は出ていなかった。抜け殻のような気分だった。
「イリヤ、あなた、大丈夫?」
彼女が肩にそっと手を置いて、柔らかく握ってきた。
クリヤキンが反射的に顔を向け、彼女が目に入った。まだ言葉はない。
「イリヤ、」
エイプリルは肩先を握る手を強くした。
「わたしのパートナーを助けてくれて、ありがとう。私……」
ようやくイリヤがはっきりと彼女を見た。そして暗い声で言った。
「悪いことに、自分のは助けられなかった」
二人の消防士がボディ・バッグ(死体運搬用の袋)を持って出てきたので、彼は車から降りて建物へと歩いていった。
ストレッチャーが積み込まれる前に、身分証を示して彼等を止めた。
イリヤがバッグのジッパーに手をかけると同時に、エイプリルが間に割り込んできて、強く手を取った。
「イリヤ、お願いだからやめて」
怒りを湛えた顔で、イリヤが彼女を振り返った。
「エイプリル?」
何が言いたいのか分からなくなって、イリヤはそこで言葉を切った。
エイプリルがそっと言った。
「彼を愛していた?」
ためらわずイリヤが答える。
「出来ることなら僕が代りに死にたかった。彼は僕の人生の全てだった」
彼女に答えている間に、怒りが体内から引いてゆき、悲しみだけが残された。
「なら止めてちょうだい。ナポレオンはあなたに、こんな姿を憶えて欲しくないはずよ」
エイプリルの声がひび割れた。
「おねがい!」
彼の白い頬を、涙が再びゆっくりと伝い落ち、イリヤはジッパーから手を離して後ろに下がった。消防士は、ストレッチャーを積み込んでしまった。
無言で死体搬送車が出発するのを見つめ、それから車に戻り、報告書を作るため本部に帰った。
検死報告が届くまでの間だけ、彼は本部に留まっていた。死体は炎で焼け焦げて、判別がつかなかった。
彼は酒場に行って、酔いつぶれた。
-Y-
爆発のあった翌朝、イリヤは本部に出かけていった。目に涙を溜めている受付嬢達をやりすごし、誰と会っても取合わないようにして、自分とナポレオンのオフィスに向かった。
中に入ることが出来ず、彼は扉の所で立ち止まった。通路を見渡しても誰もいなかったので、代りにロッカールームへと向かった。
ロッカーの前にあるベンチに腰掛け、彼は懸命に誰も入って来ないよう祈った。クリヤキンには、同情の視線が耐え切れなかった。
この半年の間で友人になり、何も聞かずに自分とナポレオンの関係を認めてくれた人々。彼らは、自分に話しかけ、助けになろうとしていたが、今までのイリヤはもう存在しない。彼は恋人の命を奪った炎と爆発で破壊された。
笑ったり、ジョークを言ったりするイリヤは死んで、人生の意義を与えてくれた男と共に、埋葬されることになるのだろう。
イリヤは壁にかかった鏡を見たが、そこに何が座っているのかもわからなかった。血走った目に、無精髭ののびた顔に――何よりも感情がまったく欠落している。
素早く顔をそむけ、膝を抱えて顔を手の中に埋めた。
「あぁ、Napasha、僕はどうしたらいい?」
彼は声に出して呻いた。
ドアが開いた音が聞こえ、彼は素早く自制心を働かせながら、立ち上がってロッカーを開いた。
近づいてくる足音を無視しようとしたが、それは彼のすぐそばで立ち止まった。イリヤが見上げると、驚いたことにそこにはウェイバリー氏が立っていた。
「おはよう、ミスタ・クリヤキン」
ウェイバリーの声はいつもの落ち着いたトーンで、表情にも感情はなかった。
イリヤは自分の上司と向き合ったが、応対するには気持ちの整理ができなかった。
「イリヤ、今朝の君がどんな思いだか、私にはとても言えない」
ウェイバリーは手を上げて答えを制した。
「しかし、君は何日か休暇を取ってはどうかね?」
この人物からファーストネームで呼ばれた事に驚きながら、イリヤは相手を見た。
「Sir、休むわけにはいきません」
自分を抑えようと、彼はつばを飲みこんだ。
「僕は仕事がしたい、今すぐ」
強硬な口調で言う。
「何かしていないと、僕は……」
自分の上司にはわかるだろうと、彼は声を消え入らせた。
「大変結構、」
ウェイバリーはゆっくりと頷いた。
「今日の午後、私の所へ来たまえ。新しい任務を与えよう」
彼は向きを変えて歩き出した。
「ミス・ロジャースの所へ行くように。君宛てに、ある書類を預かっている。大変重要なものだ」
ドアに手をかけたところで、彼は立ち止まって振り返った。
そこにいる独り取り残されて、立ち尽くす男を一瞥したが、相手の顔に浮かぶ感情を理解して、顔を戻し、ドアから出ていった。
ロッカーから服を取り出し、イリヤはシャワーを浴び、顔を剃ってロッカールームで服を替えた。
彼がそこにいる間、2、3人が出入りしたが、半年前にそうだったような冷淡な態度で、彼はそれを無視していた。
ロッカールームを出ると、何も目にくれず、呼び止めようとする者も全て無視して、リサ=ロジャースのオフィスに向かった。
イリヤが部屋に入ってくると、ロジャースが顔を上げた。彼女の目はイリヤと同じぐらい赤くなっていた。
「ああ、イリヤ……」
目の中に涙を溢れさせながら、何か言いかけたが、彼は即座にそれを遮った。
「僕が目を通す書類があると、ウェイバリー氏から言われた」
クリヤキンはできる限り穏やかで平板な声を出し、調べる方に集中してくれと目つきで訴えた。
リサは息を飲んだが、この若いロシア人が、仕事に向かおうとしている強い意志を理解した。
「イリヤ、あなたが署名するところはそんなに無いわ。ナポレオン、が、」
彼女は一度言葉を切ってから続けた。
「ナポレオンが、ほとんど全部やっておいたから」
クリヤキンは困惑した顔を向けた。
「何の話をしているんだ?」
「イリヤ、あなた知らなかったの?」
彼女は驚いていた。
「半年前ナポレオンが来て、新しい遺言状を置いていったの。彼が書類を全部調えて、証書は全部調印済みで、すべて彼からあなたに渡されます」
イリヤはまだ困惑していた。
「証書だって?」
「イリヤ、ナポレオンは自分の所有権を全部、二人の名義に書き換えたのよ。生存者として、あなたはこれで彼のアパートメント、別荘、船およびその他種々の財産を所有し、更に……」
イリヤは席を蹴って立ち上がり、出口に向かった。
「真っ平だ!」
彼はこの場から立ち去りたかった。ドアを開き出て行こうとしたところで、リサが呼び止めた。
「待ってちょうだいイリヤ、ナポレオンから手紙を預かってるわ」
彼女は一通の封筒を差し出した。
「もし彼に何かあった時には、すぐあなたに渡すように言われてたの」
イリヤは戸口で凍り付いたように立ち止まり、のろのろと机に戻って、震える手を伸ばし彼女から封筒を受け取った。そして一言もなく部屋を出た。
他にいくあてもなく、また死ぬほど一人になりたくて、イリヤは自分達のオフィスに向かった。
考える間もなくドアを開け、中に足を踏み入れた。後ろ手にドアをロックしてから、まっすぐ自分のデスクに行き、席についた。
彼は座って、長いこと封筒を睨み付けていた。外側の手書き文字は、間違いなくナポレオンの字だった。彼のしっかりした筆跡で『Illyusha』とだけ書かれている。
これ以上そうしていると気力が持たない気がして、イリヤは封を開き、手紙を取り出した。読み進むうちに、彼の頬を涙が静かに伝っていった。
言葉を追ってゆくにつれ、ナポレオンの声までが耳に響いてくるようだった。
*
My Darling Illya,
君がこれを読んでいるなら、何か間違いがあって僕が死んだのだろう。
もうリサに会って、アパートメントやその他のことについても知っただろうね。自分から君に話しておかなかったのは済まなかったが、言い争いになるだけなのは分かっていたから。
頼むからこれらの品々を、素直にあるがままに受け取ってほしい。
僕の人生で、初めて君から愛していると言われた時ほど幸福なときはなかった。真の僕の人生は、その時から始まった。
Illyusha、一緒に暮らしはじめてから、君という花が咲いてゆくのをずっと見ていた。今度のことで、君に変わって欲しくない。僕は、君が笑ったり、泣いたり、愛したり楽しんだりするのを見ていた。
君が僕を愛しているなら、そして君がまた殻に閉じこもり、ストイックな見せかけの中に自分を隠してしまわないよう、友人と交わり、君が今度の事に向き合えるよう、彼らの助けを借りて欲しい。僕にはあれが見せかけだと分かっているし、友人たちもそうだ。
ただひとつ悔しいのは、君と共に年を重ねて行けなかったことだ。40年でも50年でも君と向き合って、君が僕を見るときのような愛情を確かめながら、生きていたかった。
いつ終りになろうと約束する。僕は君を見守っている。
僕は永久に、君を愛している。
Your Napaha
**
イリヤは手紙を机に置き、それをじっと見つめていたが、オフィスのドアが軽くノックされて、ぎくりと立ち上がった。頬を擦ってから、歩いていってドアを開けた。
エイプリルだった。彼女は彼の脇を通り、椅子の前に立った。
「リサから、ナポレオンの手紙をあなたに渡したと聞いたわ」
どうして手紙の事を知っているのか不審に思い、クリヤキンが彼女を見た。
「ナポレオンは、あなたに恥をかかせるようなことはしないわよ」
エイプリルは彼の目を真っ直ぐに見据えながら続けた。
「でも、彼は私に遺言状と手紙のことを話して、もし自分に何かあったときには、あなたの様子を見てくれと言ったの――ねえ、友人として、私に出来ることはない?」
一瞬ためらったのち、イリヤは手を伸ばし、彼女を両腕に抱え、その胸に顔を埋めた。
そして引き裂かれた心から、涙が枯れ果てるまで泣きじゃくった。
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