Act-1
Act-2
Act-3
Act-4
Act-5
/5
The Drughouse Affair : Act-4
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イリヤはほぼ2時間の間、ナポレオンの枕元に座って、息をする彼をただ見つめていた。
何の前触れもなく、相手の目が突然に開き、初めて友人を真っ直ぐに見据えた。
「イリヤ?」
彼の名を呼ぶ声はひび割れていた。
「夢じゃない。そこにいるのは、君だ、」
彼はベッドカバーの下から腕を抜いて、恋人へと差し伸べた。イリヤが差し出された手を両手で挟み、優しく握った。
「お帰り。君がいなくて寂しかった」
彼は友人の手を離し、片腕を肉の落ちた肩に差し入れて座らせた。ベッドサイドに手を伸ばし、水の入ったグラスを取って、乾いた唇にあてがった。
ナポレオンは差し出されたグラスに手を伸ばしたが、剥き出しの腕を見て動きを停めた。
「分かった、これは悪夢でもないんだな?僕は、ヤク中なのか?」
傷だらけの腕を、恐ろしいもののように注視するナポレオンの声は、全く抑揚が無かった。
「Napasha、」
イリヤは声を落ち着けて、言った。
「君は食べて、飲んで、休まないと。他のことはしばらく置いておこう」
ソロの視線が火を噴いた。
「僕はヤク中なのかと聞いている」
イリヤはグラスを戻し、ベッドの上に腰掛けて、恋人を両腕で抱えた。
「ああ、そうだよNapasha。でも、二人なら乗り越えられる。二人でいれば、君は健康体に戻れる。約束する、」
涙をこらえるうち、声が詰まった。
「一緒に居る限り、僕等はどんなことでも乗り越えられる」
パートナーの苦しげな表情を目にして、ナポレオンの中から怒りがすっと引いていくようだった。
「Illyusha、君が、僕を見つけてくれたんだな」
彼は咳き込み始め、話が続けられなくなった。
イリヤは咳が続いている間、彼をずっと抱きしめていた。
「今度のは生易しいことじゃない、Napasha。君は酷く病んでいる。君が望むのなら、症状を楽にする薬をもらってくるし、偽名を使って病院で診療を受けることもできる。話してさえくれたら、君が望むことは何でもするよ」
咳が納まるまで、痩せた体躯を腕に抱き、赤ん坊にするように軽く揺すった。
「君を愛してる、Napasha」
ナポレオンは恋人のしっかりした肩に頭を凭せかけ、穏やかな心臓の音に耳を傾けた。
「薬も、病院も御免だ」
彼は断固として言った。
「
ヤクと縁を切る
か、でなきゃ僕は死んでやる」
その言葉に、イリヤがぎくりと身体を震わせた。
「ナポレオン、その言葉は二度と聞きたくない。もし君が死ぬんなら、今度は僕も付合う。もう一度あんなことには耐えられない」
ソロが視線を上げた。
「もう一度?」
彼は怪訝そうに尋ね、自分が捕らえられた日のことを思い返した。
「君は、僕が死んだと思ったのか。……あぁIllyusha、済まなかった。
君が出ていってすぐに、誰かが襲いかかってきた。そいつを殴り倒して、出口に向かったところで、背中から殴られた。目が覚めた時には、あの牢に居た」
また咳き込みはじめて、そこで話は途切れた。
イリヤはベッドから降りて、愛おしいその身体を、立てかけた枕に寄りかからせた。
「休んでろよNapasha、スープでも作ってくる」
立ち上がってドアに向かったが、友人の声を聞いて立ち止まった。
「イリヤ、僕に禁断症状が出てから、どれぐらいだ?」
ソロの声は、まるでそこに居ないかのようだった。
「君に禁断症状は出ていない」
クリヤキンは厳しい声で言った。
「症例は様々なんだ。運が良ければ、君の場合は悪性の風邪をひいたぐらいで済むかもしれない。でも、何か口にしないと。君は痩せすぎてる」
パートナーが返事をする前に、彼は部屋を出ていった。
キッチンに行って、イリヤはスープを火にかけ、ボウルを用意した。医師が置いていったリストにさっと目を通して、スープを注いだ。トレイの上にオレンジジュースを一杯とクラッカーを添えて、トレイを持って寝室に戻った。
パートナーが部屋に入ってきた時、ナポレオンはベッドに仰向け、目を開けて天井を睨んでいた。彼は振り向いて、友人の方を見た。
「イリヤ、君がマークを連れて麻薬工場から出た後、何が起こった?」
イリヤはトレイをパートナーの脇に置いた。
「まず、座って」
長い話し合いになりそうだった。
「君が食べはじめたら、話すよ」
彼は友人がベッドから身体を起こし、詰め物をしたヘッドボードに寄りかかるのを見守った。トレイをソロの膝に置いて、彼の脇に腰を下ろした。
「イリヤ?」
振り向いたクリヤキンは、自分の目を真っ直ぐに見詰めている視線にかち合い、話を始めた。
「僕がマークを車に置いて、建物に戻ろうとしたとき――爆発が起こって、炎が上がった」
あのときの恐怖を思い出し、必死に涙を堪える。
「ぼくは、きみが死んだと思った、Napasha」
彼はようやく顔を上げた。ナポレオンの動揺する表情を見ていると、胸が張り裂けそうだった。
「建物からは死体が一つしか見つからなくて、誰のものとも分からなかった」
ソロの表情が驚きのようなものに変わった。
「その死体を見たのか?」
スープを二口ほど飲み込んで、パートナーにトレイを返し、彼はそれをベッドサイドに置いた。
イリヤは首を振った。
「エイプリルに止められたよ。でも、僕にはあまりにもはっきりと想像が出来て、」
疲れを見せはじめた恋人を、手で支えてベッドに横たえた。
ベッドに入りながら、ナポレオンが彼の手を握った。
「済まなかった、Illyusha。どんな理由であれ君に、そんな思いをさせるなんて」
イリヤは上掛けを引き上げて、友人の身体を包んだ。
「Napasha、それは君のせいじゃないし、もうどうだっていいんだ。君は生きていた。大事なのはそれだけだ。さあ、君は休まないと」
立ち上がって、薄い身体に被さり、不安気に眉を寄せている額へ優しいキスをした。
「君は眠ること。しばらく心配事は皆僕に任せろ、いいね?」
ナポレオンは目を閉じたが、強くはっきりした声で言った。
「愛している、イリヤ=クリヤキン。永遠に、」
すっかり落ち着いた様子で、彼は眠りに落ちた。
ベッドルームに持ち込んでおいた揺り椅子に寄りかかり、イリヤは涙が落ちていくに任せた。
「僕も君を愛している、Napasha。それに、二人ならうまく行くよ」
-]T-
イリヤはキッチンで、もう一度肉を煮出したスープをこしらえていた。
ナポレオンが起きるたび、食べさせようとすることは出来たが、10回のうち9回は、数分と経たないうちに匙を止めてしまった。
ここ3日間、絶え間なく流感にやられているような具合で、パートナーは発熱し、嘔吐感に襲われ、さらに悪くなっていくようですらあった。
時計を見ると10時少し前で、また症状が出始める頃だった。
スープをさっとかき混ぜて、ポケットからコミュニケーターを取りだそうとした時、寝室で物音がした。
スープを置いて、イリヤは寝室に駆け込み、戸口で一瞬立ち止まってからパートナーの元に駆け寄った。
ナポレオンが、ベッドの中でのたうち回り、ベッドカバーを振り落とそうとしていた。夢を見ているらしかったが、もう何を言っても正気に返りそうにない。彼が叫んだ。
「やめろ、もう耐えられない――何処にいるんだ、イリヤ、奴らを止めろ!」
ソロがついに毛布をはねとばし、ベッドから出ようとして、叫びながら床に倒れた。
「奴らを止めろ、イリヤ、奴らに――」
イリヤは倒れている恋人に駆け寄り、相手を起こそうとした。両肩を捕まれて、床に引き倒された。
ナポレオンが獰猛な声を出す。
「オレにそんなことをするなら、お前を殺す」
彼は若いロシアンを後ろ手に捩じ上げて、壁に押し付けた。手を伸ばしてイリヤを捕まえ損ねると、シャツの襟元を掴んで前を引き裂き、その勢いで爪を立てて引っ掻いた。
「殺してやる」
彼がうなり声を上げた。
イリヤは初めて、ソロがまだこんなに弱っていて、彼を止められたことを神に感謝した。両肩を掴み上げているパートナーを、何としても傷めつけたくはなかった。
「ナポレオン、僕だよ、」
ソロは彼の胃に肘打ちを食らわせた。イリヤは一度咳き上げたが、痛みに耐えて、腕の中に固く抱きしめ続けた。彼の体力では、そう長く暴れ続けられないのは解っていた。
「Napasha、僕だ。君は安全だよ、僕は君を連れ戻したんだ」
ナポレオンが突然、腕の中で動かなくなり、ぐったりとなって、全身が激しく震えだした。
「さむい……凍えそうだ……」
震えは見る間にひどくなり、抑えようもないほど身体中を痙攣させはじめた。
「イリヤ、どこだ?」
彼の目が開き、あたりを見回したが実のところ何も見えてはいなかった。
「イリヤ?!」
イリヤが弱りきった身体を振り向かせ、抱き寄せた。
「大丈夫だ、Napasha。心配はいらない。僕はここにいる」
立ち上がって友人をベッドに戻し、その横に滑り込んで、上掛けを全部、震えている身体に被せた。
できる限りしっかりとナポレオンを引き寄せて、自分の体温で暖めながら、その間ずっとロシアの子守り唄を、小声で歌った。
数分後、激しい身震いが収まり、ナポレオンはぐっすり寝入ったようだった。
クリヤキンは、友人が確かにまた暴れ出さないとわかるまでベッドに留まり、それからバスルームに向かったが、呼び鈴がけたたましく鳴る音を聞いて立ち止まった。
友人が目を覚ます前に音を止めようと、彼は玄関に走った。自分の有り様のことはすっかり忘れて、正面のドアを勢いよく開いた。
エイプリル=ダンサーとマーク=スレートが戸口に立っていた。
「イリヤ=クリヤキン――」
エイプリルが口を開いたが、髪を振り乱した彼の姿を見て、ぴたりと言い止めた。
「イリヤ、何があったの?」
彼女とマークが、部屋に入ろうとした。
イリヤは彼等を遮り、ドアをしっかりと掴んで、入り口を塞いだ。
「やあエイプリル、マーク。悪いけど、今ちょっと都合が悪いんだ」
彼は声を穏やかに、息遣いすら隠すように努めた。エイプリルはひるまなかった。
「イリヤ、私たち心配してるのよ。ウェイバリー氏から、貴方が流感にかかって、それで……」
相手の姿を上から下まで見て、彼女は声を途切れさせた。
イリヤがさっと割り込んで、言った。
「心配してくれて本当にありがとう。でも、今人が来てるから。さしつかえなければ、あとで電話するよ」
ひたすらナポレオンを起こしてしまう前に彼等を立ち去らせたくて、自分がどう思われるかまでは構っていられなかった。
「悪いけど、もう戻らないと」
彼は文字どおり叩き付けるように、彼等の前でドアを閉め、向きを変えて寝室へと駆け戻った。
ソロがまだ眠っていたので、イリヤはバスルームに行って、初めて自分の姿を目にした。鏡を覗き込みながら、彼は硬直してしまった。
「あああ、彼等に何て思われただろう?」
エイプリルとマークが見たと同じ自分が、鏡の中に見える。唇は脹れ、髪はぼさぼさ、シャツは首のところから破れている。
ケンカの最中というより、逢い引きの最中に邪魔が入ったというところだ。
彼等に何と思われようが問題ではない、どうせ遠からず、本当の事が皆に分かってしまうだろうから――イリヤはそう結論し、眠っているパートナーの様子を見に、また寝室に戻った。
-]U-
イリヤがナポレオンを発見してから、1週間が経った。
ソロは1日の殆どを眠って過ごしていたが、流感のような症状は治まってきたようだった。事実、夕食にはスープをボウル一杯は食べられるようになった。
イリヤは、眠っているパートナーを起こさないよう、注意深く、静かに寝室に入っていった。ベッドの脇に据えた揺り椅子に納まり、そっと恋人の手を取ると、椅子の背に置いた枕に頭を預けて、目を閉じた。
ベッドから物音がして、彼はさっと目を開いた。ナポレオンが、ベッドに横になったまま、目を開き辺りを見回し、パートナーを見つめた。
「やあ、」
そして、何かを探るように言った。友人の暖かい眼差しが嬉しくて、イリヤはにこりと微笑んだ。
「やあ、君、気分はどうだい?」
立ち上がり、手を握ったままベッドの端に腰掛けた。ソロは少しの間、身体の調子を伺うようにじっとしていた。
「実際、気分はすこぶるいいよ。分かるだろう?」
彼は数瞬、自分のパートナーを見上げた。
「でも君も同じとは言えないな。ひどいざまだ、君は」
友人の目の下の隈と、深い眉間の皺に目をやる。
「イリヤ……」
イリヤが即座に口を挟んだ。
「僕の心配は止せ。今気にかけるべきなのは、君のことだろう」
「イリヤ、僕なら大丈夫だ」
ナポレオンは、視線を落として握っている彼の手を見、僅かに表情を曇らせて、手から力を抜いた。
ベッドの端まで身を滑らせ、立ち上がろうとした。
クリヤキンは立ち上がって、肩に手を置き、相手を止めようとした。
「Napasha、今夜のうちはゆっくり休んで、朝になってからにしたらどうだ?」
パートナーが奇妙な表情を浮かべているのが気に入らない。
ナポレオンは相手に構わず、立ち上がり、一瞬だけふらついたが、身体のバランスを取り戻した。ゆっくりと寝室を歩いていって、バスルームへの戸口で立ち止まった。
「イリヤ、僕はちょっとシャワーを浴びてくる」
彼はバスルームに入って行き、背中でドアをばたんと閉めた。
イリヤはベッドに腰掛けたまま、ドアに鍵が下ろされる音を聞いた。暫くの間、閉じられたドアを座ってじっと見ていた。
恋人の態度の全てが彼には不可解だったが、今の状況を考えて、気にするのは止めにした。
イリヤは立ち上がって、手早くベッドからリネン類を引き剥がし、クロゼットから自分達用の一揃いを取り出した。
ベッドメイクを終えた頃、友人がパジャマとローブに着替えて出てきた。
ソロは戸口に立ったまま、換えたてのベッドを眺めていた。
「イリヤ、僕は2、3日ゲストルームの方で寝かせてもらったほうがいいと思う。気分が落ち着くまで……」
彼は、パートナーと目線を合わせまいとした。
「Napasha……」
ナポレオンが彼を遮った。
「その呼び方はよしてくれ」
彼の口調は荒々しかったが、パートナーの傷ついた表情を見て、声を和らげた。
「済まないイリヤ。ただ、少し時間をもらえないか?」
イリヤは立ち上がって、顔を曇らせたまま寝室の出口へと向かった。
「ナポレオン――明日の朝、また」
ソロが早口に彼を呼び止めた。
「イリヤ、職場の誰かに、僕が生きていることを知らせたか?」
白状するなら今だと思い、イリヤは頷いて、恋人の側に戻った。
「ゴードン医師に知らせた。彼は僕に、君を治すために必要なことを教えてくれた。でも、彼は他の誰にも言わないと約束したよ」
彼は怒鳴りつけられるのを大人しく覚悟した。
ナポレオンは、その奇妙な表情で、ただ相手を見ていた。
「いいさ。彼に僕が治ったことを教えて、彼からウェイバリー氏に、僕が生きているのを知らせるようにしてくれないか。明日の朝、あまりあの人を驚かせたくないからね」
「Napasha……ナポレオン、明日職場に戻るのは無理だ、」
イリヤは友人に歩み寄ろうとし、相手が後ずさるのを見て立ち止まった。
「君にはまだ早すぎる」
ソロは彼に取合わず、きびすを返して寝室を出ていった。
その次にイリヤが聞いたのは、ゲストルームの寝室のドアがばたんと閉まる音と、鍵が掛けられる音だった。
さっきまでの出来事に衝撃を受けたまま、イリヤはベッドの端に座り込んでいた。考えれば考えるほどに、気掛かりは募っていった。
ナポレオンに言われたことを思い出し、彼はポケットに手をやって、コミュニケーターを取り出し、多少考えてから、立ち上がって電話のところへ行き、ゴードン医師を呼び出した。
-]V-
翌朝、イリヤがキッチンで朝食の支度をしているところに、ナポレオンがふらりと入ってきた。
イリヤは、友人の姿をまじまじと眺め、ナポレオンのしっかりした様子に息を呑んだ。まだひどく痩せてはいたが、身だしなみを整え、スーツを着た姿は、ほとんど以前通りの彼だった。
「おはよう、Napash……ナポレオン、今朝の気分は上々のようだな?」
歩み寄って、友人の身体に腕を回そうとしたが、きつい視線に会って動きを止めた。
「お早う、イリヤ」
ソロはコーヒーポットの所へ行って、自分のカップにコーヒーを注ぎ、その場で、なるべく二人の距離を置こうとしていた。
「医者に、僕が今日は本部に行けると報告してくれたか?」
イリヤはまた不審な顔をした。
「夕べ彼からウェイバリー氏に伝えられたよ、ナポレオン。それが何か?」
彼はパートナーに近づきかけたが、相手の冷たい雰囲気にまた凍り付いた。
「別に何も。ここに閉じこもってると死にそうに滅入ってくるから、仕事に戻りたいんだ」
ソロはカップを流しに置くと、キッチンを出ようとした。
「銃を取ってきたら、出かける」
肩越しにそう言うと、寝室に入っていった。
イリヤにはまだ何がなんだか分からなかったが、パートナーが自分を待たずに出かけようとしていることには気が付いた。クロゼットに駆け寄って、ジャケットを引っ張り出し、玄関に向かった。絶対にナポレオンを一人で行かせるわけにはいかなかった。
彼等は完全に黙りこくったまま、車は本部へと向かっていた。
イリヤは、友人を見守りながら、何があったのか話してくれないかと願った。ソロは硬い表情で、助手席に座っていた。
「イリヤ、」
駐車場に車を入れた時、彼はパートナーの方を向いた。
「僕は、しばらくどこかへ行こうと思う」
自分のパートナーが、本気ですぐ仕事に戻ろうとはしていないのを知って、クリヤキンは嬉しくなった。
「いいね。どこへ行こうか?」
駐車場に停めて、車から降りながら、彼は友人に明るい微笑みを向けた。
ナポレオンは車のドアを開けて降り、車を間に挟むようにして立っていた。
「いや、僕一人で行く」
彼は向きを変え、エレベーターに向かった。
「本部に不在許可をもらってくる」
ここまでひどい事態は、イリヤにも考えが及ばなかった。
「ナポレオン?!」
エレベーターのドアが開き、ソロが中に足を踏み入れたので、彼は走って追いつかなければいけなかった。
「何のつもりだ?君はどこに行こうってんだ?それに、本部に来て何をするつもりだ?」
クリヤキンはもはや腹を立てていた。
「それに僕はどうなる?君と一緒にさんざんな目にあってて、一言もなしに出て行こうっていうのか?」
エレベーターのドアが開き、彼は口を閉じた。
ウェイバリーがスタッフ全員に伝えておいたらしく、ナポレオンとイリヤがレセプションを通り抜け、ウェイバリーのオフィスに向かっても、驚きの目で見るものはいなかった。
2、3人がソロを呼び止めようとしたが、彼はひたすら前へと歩き、ウェイバリーのオフィスに着くまで足を止めなかった。
せっかちにドアをノックし、彼はドアを開いた。
ウェイバリーは、入ってきた二人のエージェントを見上げ、微笑したが、彼等の顔色を見て笑みを引っ込めた。
「よく戻ってきたね、諸君」
そして落ち着いた表情に戻した。
「君がいなくて、我々も物足りなかったよ。ミスタ・ソロ」
ナポレオンの表情は変わらず、石のようなままだった。
「Sir、僕は辞職しに来ました」
イリヤは、友人のその言葉に飛び上がって驚いた。
「ナポレオン?!」
ウェイバリーは二人の男に視線を注ぎ続けた。
「そうかねミスタ・ソロ?で、何日付けで辞職するつもりだね?」
ソロは椅子に腰を落とした。
「今すぐにお願いします」
彼の答えは短く、ぶつ切りになっていて、パートナーの方を振り向きもしなかった。
「それと、決心を変えるつもりはありません」
彼の口調がまた荒くなった。
「大変結構だ、ミスタ・ソロ。私に何も言うことはない」
ウェイバリーはパイプを取り出して、中身を詰めはじめた。
「とはいえ、君が退職する前に、君達に最後の指令があるのだ」
ナポレオンが口を挟んだ。
「Sir、僕には出来……」
ウェイバリーは構わずに続けた。
「ミスタ・ソロ。これは君と、ミスタ・クリヤキンにしか出来ない、大変重要な指令だ。ここを辞める前に、君が喜んでこれに当たってくれることを、私は信じている」
イリヤはずっと戸口に立っていた。
「Sir、ナポレオンにそんな事は……」
だがそれ以上言えなかった。ウェイバリーはデスクから立ち上がった。
「諸君、これは重要な任務だ。チームとしての最後の任務にあたり、君達がいかなる困難もはね除けてくれると思っとるよ」
彼は二人を睨み、二人が頷いた。
「大変結構だ。さて、THRUSHがまた、この郊外に麻薬工場を移転させた。君達には、工場と内部施設の全てを破壊して貰いたい」
彼はソロにファイルを渡した。
「君達は今すぐにこれを頭に叩き込んで、今夜のうちに出発したまえ」
イリヤはどっちに目を向けたらいいのか分からなかった。パートナーの態度にも驚いたが、ウェイバリー氏の様子にもまた肝を潰した。
「Sir?」
ウェイバリーは、若いロシアンに落ち着いた眼差しを向けた。
「以上だ諸君。戻ってきたらまた会おう」
彼はパイプを詰め終え、火を付け、視線で彼等に立ち去るよう言った。
ナポレオンは立ち上がり、パートナーを待たずにドアを出た。イリヤはまだ口も効けないほど驚いて、もう一度だけ自分の上司の顔を見た。
その人物の目が何か光を帯びているようだったが、何も言わなかった。
彼は向きを変え、間もなく『元』パートナーになってしまう男の後を追った。
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